2018.02.15

日常的な異界

Apollon 昨夜は相方と坂口恭平さんのレコ発ライブへ行ってきて、帰りの電車で熟睡。おうちに帰ってからまたやけにいっぱい眠りました。先月坂口さんの個展に行った後もやたらとぐいーっと眠りに引っ張り込まれたけど、この眠気はなんでせう。

坂口さんの絵も、うたの詩も、声も、旋律も、じかに心の特別な領域(顕在意識でない領域)にコミュニケートしてくれるみたいな気はしてるのだけど。

昨夜は、WWWという好きな箱(音がいい)だったせいもあってか、あー声が―!と何度も思ったし、一瞬は別の境地に連れてってもらった。言葉にしようがないのだけど、ああ、ここ、ここは、坂口さんだからこれるところ……と。

春風みたいにおだやかな幸せ感のある、普通ぽい(トラッドぽい?)旋律に、普通ぽいけど時にいっちゃってる詩が乗っている、そういうところが自分にとっては、今回のアルバム「アポロン」のツボどころでもあって。日常の中にぽっと異界が垣間見えると、なんか安心する。

アンコールで、1週間前に他界された、親友の石牟礼道子さんの詩に旋律をつけたものをうたってくださいました(生前の石牟礼さんと一緒に坂口さんがこの曲をその場で作って、ふたりで歌ったときのバージョン、ここで聴けます、とてもいいです)。そのあとボブ・ディランさんのA Hard Rain's a-Gonna Fall(坂口さん訳の日本語版)をうたってくださって。この曲はなんどもなんども聞いているのに、昨夜はじめて、この曲でうたわれてる「雨」の意味合いがくっきりしました。そういう曲だったのかー、と思った……。石牟礼さんの詩の中の「雨」と響き合ったからかな。

アンコール前のラストにうたってくださった「月のうた」という曲は、とりわけ詩が大好きな曲でなんども聴いてたんだけど、昨夜聴いていたら、去年夏に坂口さんの個展で、相方が生まれてはじめて「絵を買う」ということをして、その買った絵を持ってお堀端を歩いて帰った、あの夜のことが思い出されてきました。絵をつうじて、相方のお父さんやわたしのひいおじいさんのこと、いろいろが思い出されて。そういう長い連なりや目に見えない連なり、”現世”の外(貨幣経済や資本主義の世界の外)にあるものごとのことを、思い出せてよかった、と思ったあの夏の日のこと。

***

で、今朝は母方のおばあちゃんの持っていた小物雑貨が出てきて、それを「捨てないで!」と泣きながら言ってる夢を見た。その小物雑貨(お相撲関連の記念グッズ)を見て、とても懐かしい気持ちになって。おばあちゃんのこと、すごく思い出していました、夢の中で。

でもおばあちゃんは、いつもは生きたまま夢に出てくる。今年に入ってからも何度か出てきてくれたっけ。

お誕生日の日には、母が夢に出てきてくれました。一緒にバス旅行していた。1週間くらい前も、また母と夢で逢いました。なんかすてきなごちそうを食べていました(わたしだけ食べて、母はとなりでうれしそうに見ていた)。ごちそうの中に、プラスチック製のスイッチボタンみたいなのがあって(食べ物ということになっている)、それを手に取って口に入れようとして、「あ、これは食べちゃだめだ、帰り道がわからなくなっちゃう」と思って、食べるのをやめました。スイッチボタンの中央のスロットに文字が表示されてあって、それが帰りのバスの停留所の名前で。スイッチボタンはチケットでもあって。どこで降りるかはわかってるけど、乗る場所はあやふやだったから、これを食べちゃったら帰れなくなってたのでした。

おせち料理といえば、おととい、相方が起きぬけに「あなたのお母さんがおせち料理をつくってくれてる夢を見た」と言ってた……。

夢で逢えるっていいです。安心します。

相方のお父さんの命日に、みんなでお鍋を食べた夜、相方のお父さんも私の夢に出てきてくれたのも、ものすごくうれしかった。元気そうに、バレエを踊ろうとされていて、わたしもくるくるピルエットしました、9回くらい。相方のお父さんが夢に出てきてくれたのは、初めてでした。生前、私のことを受け入れてくださっていたのかどうか、わからなかったから(感情の表現が控え目な性格だったのもあって)、亡くなられた後もずっと、そこがわだかまりのようになっていたのだけど、今回夢で逢えて、大丈夫みたい、と思えました。

* * *

今朝は、おばあちゃんの夢のあと、もひとつ、すごいインパクトのある夢を見ました。今借りてるおうちの中に、7年間知らなかった部屋があったのを発見した夢。その部屋には恐竜の骨格がいっぱいならんでいて、骨格の上に土がうっすら積もっていて、遊びにきた(み)ちゃんがそこを見つけて、入っていったのが、いつもいる部屋の側から見えて、「どうやって入ったの!?」と声かけると「向こうから回った」と。で向こうへ行くと、大きな開口部があって、そこから真下に3メートルくらい下がったとこに、土の地面の巨大なキッチンが。このキッチンの部分は今の家の天井まで吹き抜けになっていた。

下のフロア(というか地面)に降りる階段などはなくて、(み)ちゃんは側面にあった棚の引き出しを少しずつ引き出してそこを足がかりにして降りたらしかった。相方と私も降りてみた。

「この家のメインキッチンはこっちだったんだ!今使ってるキッチンは簡易キッチンだったんだ!」と思いました。桁違いに大きなキッチンでした。でもそのキッチンから180度振り返ると、今使ってる部屋の床の下にあたるところ(吹き抜けになっていないところに)さらに空間が広がっていて、そこに大きな横長のソファが3台。

ソファにはチベット仏教の柄(?)みたいな、知らない文字のようなものが入った柄の布がかかっていて、どうやらこの空間はなにか宗教団体(?)のリトリートとして使われていたようでした。サイドテーブルのひとつには、封が開いたままのおせんべいが残されていた……。

* * *

意味不明だけどわけありな感じの夢だなーと思いました。心の奥底に何かがあるな、と。

顕在意識に入ってきていない何かがあるよ、と夢はいつも教えてくれる。こないだはものすごい剣幕でシャウトして怒っている夢をみたのだけど、英語でシャウトしていて、なんで英語になるかなーと思ったけど、相方によると、わたしは定期的に英語で怒鳴ってる夢を見るらしかった。英語圏で暮らしていたときの自分が、まだ心の奥底にいるみたい。そこから、まっとうなアジア人にあこがれて、努力してきて、英語圏に越す前の、テンポ遅めな自分を無事思い出すこともできて、今の自分にはもう英語圏に暮らしてたときのようなところはないように感じているけど、まだちゃんと居る。

もうここにいないと思っている人も、もうここにいないと思っている自分も、ずっとちゃんと居るようです。

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2018.01.31

ひまわりの種

Img_3318_2 「猫の額庭」にくるシジュウカラのみんなが、「ひまわりの種がもうないねえ」と話している気がして、今日は近所にある、古い店構えの小動物用品店へ自転車を走らせました。

いつも店先の一番目立つところに積んである、なんのラベルもないただの透明のビニール袋にどさっと入ったひまわりの種を1袋もってレジへ。

おじさんは「だれにあげるの?りす?」と言うので、「いえ、シジュウカラです」と言ったら、すぐさま思い出したように「そうだね、シジュウカラだったね!」と笑顔に。野鳥にあげる、と聞くといつもおじさんは特にうれしそうな顔をする。。

おじさんとこのひまわりの種は1袋300円なのにどっさり入りすぎていて、一度買うと、次に買うまでしばらく間があくから、そのあいだにおじさんの記憶はちょっとあやしくなるようだったけど、すぐ思い出してもくれるのでした。

「お代は3万円です」などと冗談をおっしゃって、わたしの300円を受け取られた。

こないだホームセンターで見た、市販のきれいなパッケージに入った小鳥用ひまわりの種は、280円くらいでおじさんとこの半分も入ってなかったのを思い出しつつ、お支払い。。。

「また買いに来てね」と言われて、「はい、それまでおじさんもお元気に」と言ったら、「いやあ、もういつまでもつか、わからないよ」と笑いながらおっしゃった。

おつりをくれたときのおじさんの手指が腫れぼったかったこと、ちょっと気になった。。。

前に、わたしの自転車を見て、若いころは僕も自転車が好きでねえ、こんなのやあんなのに乗ったんだよ、と話してくださったことがあったっけ。

控え目なのにおちゃめなおじさんは、こじんまりとしていて空気の通りも悪い、このお店の奥で、カウンター向こうのせまいすきまに座って、ラジオを聞いている、たいてい。

おじさん、好きなスポーツ自転車に乗ってぱーっと風の中を走ったりできたらよいのになあ。。

と思って、すぐ、異種間コミュニケーターのアンナ・ブレイテンバックさんから前に教わったこと、思い出しました。

動物園の動物に対して、不憫に感じたりした場合に、こうするといいですよ、と教えてくれたことなんだけれど。

不憫の気は、ほんとうに不憫な境遇にいる動物にとって、さらに負担になっちゃうから、快くてほっとするような気で自分を満たしてから、それを相手の頭上めがけてアンダースローで放り投げるようにしてみましょう、と、うろ覚えだけど、そんな感じのことでした。

これを応用してみると、私自身が、その風の中を自転車で走ってるときみたいな爽快感、愉快感、快適さを思い出して、その感じを自分の心身全体にめいっぱい満たしておいてから、それをほいっと、おじさんの頭上めがけてアンダースローで放り投げてみたらよいのかな。

受け取られるかどうかはわからないけども。。

* * *

で、気ってやっぱり、そういうふうに作用するんだろう、となんとなく確信する。

Img_3582 こないだ行った坂口恭平さんの個展で、やっぱり、500枚の原画の束を1枚ずつ繰ってみていくうちに、だんだんごはんをもらってる感覚がやってきました。

来場者が増えてきたので、相方が見ている束のほうへ移動して、相方が繰っていくのを隣で見はじめたんだけど、次々と自分の前に絵が差し出されてくる、それが、次々と料理の乗ったお皿が目の前に置かれるのとちょうど同じような感じになっていって。

しまいには、わんこそば状態で、ちょっとくらくらした。

今回は坂口さんにお目にかからずに帰ってこよう、と思って、ほんとに絵だけ見に行こうと思ってたのだけど、絵の枚数がありすぎて、見終わらないうちに坂口さんがギャラリーにやってきてしまって。ご本人がいらっしゃるとまた、うたもうたってくださるし、もうたいへんです。

んで、あんまり長居せずに、帰ってきたのだけども。家に帰っておゆうはんを食べた後、久しぶりにぐったりしてソファでがっつり宵寝しました。強制終了かかった感じで。

たくさん宵寝したのに、夜もしっかり眠って。そしたら翌日から、なんか、関心と興味のアンテナがまたちょっと働き始めた感じになって、しんとしてるようで心の奥のほうではなにか動き出してるような感覚が来ていて。

あのぐったりは、好転反応みたいなものだったんだろか、と思うにいたりました。

やっぱり気の交感っていうのは、あなどれないんじゃないだろか、と思う。。

坂口さんの絵、ひまわりの種と同じくらい、1粒万倍、なところがありそうな。。?

もすこし、ここらへんのことを大切にしながら暮らさないとだなあ、忘れっぽいじぶん。



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2017.09.20

音楽と

このあいだの激しい雨で、大家さんとシェアしてる中庭側のジャスミンが、ばさりと倒れてしまった。3号ポットに入ったひょろんとした苗を何年か前に取り寄せて、端のほうに植えたら、はじめはゆっくり、何年かしたらぐんぐん大きくなって、窓を覆って屋根にさしかかるように伸びてくれていたのに、倒れてしまって、気の毒でした。

でも幹が折れたわけではないから、そこまでダメージはない、と思いたい。。。だいぶ切って、軽くしてから、軒先に紐でつないで起こしてあげてみた。

Img_2103 つぼみがたくさんついてた枝先は、束にして活けて、あとは初めてつくってみたスワッグなるものにも少し加わってもらいました。ジャスミン以外は、「猫の額庭」のみなさん(センダン、ヒメヒマワリ、ローズマリー、ミズヒキ、ヒバみたいな木、アスパラガス、アイビー)と、前にいただいた花束に入ってた白のスターチス(ドライにしといたもの)。

Img_2110_2 朝起きてすぐ、花屋さんごっこみたいにして楽しくつくりました。

Img_2106初めてなので、みんながドライになってくとどうなるのか、日持ちはどうなのか、ぜんぜんわからないけど。。(ゆ)ちゃんのお誕生日ライブのお祝いに、譜面台と壁に下げさせてもらいました。けどなかなか楽しげな感じになってよろこんでもらえて、うれしかった。。 :)

21752071_197302397478063_38776172_2   Photo_3 会場の写真とりそびれてたのだけど、(や)ちゃんがすてきな写真撮ってくださっていました。載せてもいいとのことだったので、載せさせてもらいました♡ありがとう。

うたをきく体験が重なってうれしいこの頃です。

+ + +

<音楽と>

うたをきくときはなるべくからっぽでいたい
絵を見るときも

ややこしいものぜんぶ置き去りにして、呆けて
ただ出会う

ってなったときの至福の体験は

透明のミルフィーユみたいになって
からだの中に残ってる

これが礼儀だと思うのに
勇気が足りないことも多くていけないな
この勇気は出さなくちゃだよ。。。

振り切っていかなくちゃだよなあ。。

と思いつつ、ちゅうとはんぱにからっぽだって
それだっていいんだな、
受け取れるものを受け取って
それでいいんだ。。うん

自分にやさしく
よくばりとないものねだりはやんわりいなして
ほんわかと、いまここにいよう

このあいだの坂口恭平さん&寺尾紗穂さんライブ
坂口さんが即興でうたってくださったうたと
おふたりによる坂口さんの曲「霧」と
アントニオ・カルロス・ジョビンさんの曲「三月の水」が
今も心に残ってる

空中でなにかがはじけるような手触りとかも

時空のちょっとゆがんだすきまに
一瞬すべりこむような感じとかも。。。

築地の市場からすぐの、路地の奥、

2階に上がったら、
ちょっと教会みたいな白い空間でおどろいた

西岡恭蔵さんの曲「グローリーハレルヤ」のときは
涙が出てしかたなかった。。

空気の粒子がだんだんそろっていくようだったな
うたがうたわれていくうちに

しあわせでした

そしておとつい夜の(ゆ)ちゃんのライブは
山あいの虫たちの合唱がずっと聞えていて
そのなかにうたとギターが紛れ込むように響いて

風景みたいだったな

部屋の中にいるのに壁がないみたいで
(ゆ)ちゃんのうたごえはずっと風の音みたいで

(じゅ)ちゃんのうたも笛も
(あ)さんのギターも

風景にすべりこんでいくようで

やさしさがあって休まった。。

壁がまるでないみたいだった小さい食堂の
しっくいの白い壁と木の床と古いガラス窓とは
なんというかエーテル的に(?)
みんなをすっぽり包んでくれていた感じがしたな

あの場にあった、安心感みたいな、あの感じは
店主(じゅ)ちゃんの、
居合わせていたみなさんの、
うたいかなでてくださった3人の、
ぜんぶが合わさってのことだったのかな

みんなにありがとう

音楽にありがとう

(9月15日、築地パレットクラブ/9月18日、ふたこぶ食堂)

+ + +

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2017.07.23

獅子座新月間際のわわわ

幸せすぎた昨日でした。。。

久しぶりに髪を切りに行きました。切っていただいてるあいだ、頭をかすめていたのは、きつかった2カ月間のこと。終わって「これだけ切りましたよ」と見せていただいた髪の束を見て、ああ、よかった、と思った。髪の中を風が通るさわやかさを体感しつつ歩きました。

そのあと寄った本屋さんで、以前から目にするたびに惹かれていたdesignsix Londonのピアスを見かけて。毎回、見かけるとときめくけど、必要ないし、いずれ用なしにしてしまうだろうし、地球にとってよくないしと結論していたのに、今回はホワイトのNovaピアスを衝動買い。その場でつけました。ピアスはここ20年近くは冠婚葬祭のときにしかつけることがなくなってたのに。どうしたこと。。。

そして夕方、相方と合流して坂口恭平さんの個展Nest of Thinkへ。もうこれがとんでもなく、幸せなひとときでした。

0003_xlarge 広いローテーブルに小さな立体作品が朴訥に並んでいる写真を、坂口さんのタイムラインで見て、あ、この立体たちの後ろ姿がきっとやばい、見たい、と思って行ったんだけど、わたしの想像を軽やかに上回り、あらゆる意味で「個展」の概念をふっとばす個展でした。

立体作品のほかに、窓や壁に数点貼ってあったけれど、そのほかに500枚の絵がそこここに束にして置いてあって、各自手袋をはめてその束を見ていくスタイル!

しかもその間、坂口さんはBGMと称して、ギターを弾いて歌ってくださっていて!そのうたが、BGMなんてとんでもないほどのマジうたで。

「休憩しまーす」とうたを中断すると、ご自身の選曲の音楽をスピーカーから結構な音量で流してくださって!

ずっと坂口さんがその場にいて、あれこれ話したり歌ったりして、曲かけたりしてくれていて、もう彼の存在感そのものを含むあの場全体を、どうぞ、してもらってる感じでした。

* *これから行こうかなって思ってる方は以下は読まずにどうぞ!30日までやってます* *

ビジュアルと音楽と立体とか、作家と作品とか、作家とオーディエンスとか、アートと生活とか、ぜんぜん切り分けらてなかった。

0013_xlarge大音量で音楽が流れてる個展、作家さんがライブしてくれてる中で原画の束をひたすら繰っていく個展って、体験したことないよ。。!

1枚1枚を手に取っているときに、「片づけの魔法」のこんまりさんが、本の整理をするときにとにかく本棚から全部出して、1冊1冊を(読まずに)手に取って、ときめくかどうかをチェックすること、と提唱してたこと、思い出しました。触角が感知することの正確さ。。

坂口さんは新しく誰かが入ってくると、元気に「いらっしゃいませ!」と言い、今日のクローズの時間が迫ってくると「そろそろタイムセールですよ!好きなの選んじゃって、もう言い値でいいよ、商談しましょう」と。まるで市場のようでした。。。

ああ、生ものを売っている、という意味では、まさしく市場だったのだなあ、とも思う。

作品はわたしには手の届かないお値段だったから、見るだけと思っていました(タダでこんなにいいおもいをしていいのかなとも思ったけど)。言い値でいいよ、と言われて、え、もしかして、とも思い始たけど、惹かれるもの、心がぴぴぴんと反応するものが、いっぱいありすぎて、選ぶとかとうていできなくて、結局どうしたらいいかわからなくなって終了。。。

音楽を聴きながら1点1点を見させていただいている時間は、ちょっとした変性意識状態だったもよう。後でおゆうはんを食べてたときに、通常の意識まで降りてきて、「あー、わたし緊張してたんだなー」と気付いたけど、正確にいうと、興奮していたもよう。

絵のかわりに、相方と一緒に画集を買いました。そしたらサインをしてくださって。そのときに、相方がほしがって、でも迷って決められなかった2枚の作品のモチーフを、ペンでさらりと描き添えてくださいました。やさしい。。

帰りの電車と、家についてからおふとんの中で、画集をめくっていました。この多産なワールド。。

坂口さんのドローイングを初めて見たとき、うわあ、過剰だー、とその過剰さに圧倒されたし惹かれました。今回の個展では、500枚の作品にはわりと余白がいっぱいあるものが多くて、予想外だったのだけど、これだけ余白を含んだものを描くと、今度は作品の点数が過剰になるんだなあ。。。彼はほんとうに、出し惜しみしない。。。というか惜しむどころか、出し切らないとバランスをとれないんだろうと想像する。

スタイルも画材も、モチーフも、自由で多彩で。坂口さんの歌声にそっくりだ、と思ったものもあった(当然か)。

芸術が絵画、彫刻、音楽、演劇、舞踊、などと分化する前の、大元のまとまりのエネルギーと一緒にいる人。自由度がめちゃくちゃ高い人。好きすぎる。同時代に生きていられてよかったって思う。

* * *

個展のタイトルはNest of Thinkだったけど、アレクサンダーテクニークでthinkする、ということについてこのとこぼんやり思ってたことが、なんだかばーんと示されたようでもありました。こういうthinkっていうか、これがthinkだ、ということ。そうだそうだ、と。

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2016.01.25

あわただしさと、鮮やかさと

0045_xlarge今年はお正月も自分の誕生日も例年以上に実感のわかないままやってきていて、日々のあわただしさが際立っているのだけど、でも瞬間瞬間の鮮やかさはなぜか増しているようで。。。不思議な感じです。

20160117_091341 お誕生日はいつになくお祝いをたくさんしてもらって。。。お誕生日になる前から、「もうすぐお誕生日だから」とともだちからかわいい青い生き物の木製しおりをいただきました。木製のしおりは、箱根の寄せ木細工のものと、フィンランドの白樺のものとが最近わがやに来たばかり。ひそかにブームになっていたので、このメキシコのしおりもとってもうれしかった!

20160121_102529 お誕生日当日は、相方と温泉へ行きました。いつも体調管理のためにお世話になっている、家からわりと行きやすいところにある日帰り温泉。そこがやっている小さな湯治宿の棟に泊まりました。 Oyuhan_2 湯治宿なので食事も体のことを考えたシンプルな玄米菜食で、しみじみ、おいしかった。。。

お風呂→おゆうはんのあとは、はやばやとぐっすりひとねむり。夜中に起き出してまた掛け流しの内湯につかり、また眠りました。朝食の前にもひと風呂。。。眠る、お風呂に入る、おいしいものを食べる、川の流れる音を聞く。ひたすらそうやって過ごせて、しあわせでした。

朝食後もまた露天風呂へ入りにいって、湯けむりが朝日に照らされて天使の梯子になってるのを眺めました。きれいだった。

ここの温泉に併設されているカフェが秀逸で、暖炉でパチパチ火がもえてるのと、足元には真鍮のパイプが渡してあって、中を温泉のお湯がながれているのとで、あったかくて、居心地もすごくよいのです。温泉水で淹れるコーヒーがまた美味。コーヒーを一杯飲んで、この日は沼津へ移動して、沼津アルプスを歩きました。

0043_xlarge 沼津アルプスは、高度は低いけど表情豊かなルートで、本によると日当たりも眺めもよくて「夏以外ならいつでも快適」とのこと。行ってみたら、なるほど、気軽に登れる高さでありながら、予想以上に楽しい山でした。

0050_xlarge_2 いったん稜線まで上がってしまうと、右手にはずうっと海が。香貫台というところから上がったのだけど、落葉広葉樹の多い明るいお山でした。おもしろかったのは、異なる樹種同士がとても仲良しなようすだったこと。

0027_xlargeこのクスノキとカゴノキは、もう一体化しているといっていいくらい。もっと若い木々も、違う樹種同士がお互いに腕をまわしながら成長していたりしました。歳のいった桜の幹に、青々としたつた植物が這って上がっているのも、初めて見た。0029_xlarge

沼津アルプスを案内してくれた本には、「山はいつも近くにあって、行こうと思えばいつでも行けて、行けば必ずいいことがあります」と書いてあったけれど、ほんとうだ。。。

林を抜けると相模湾を一望に見渡せる岩場があって、ひだまりであったまった岩に腰掛けてお昼を食べました。たのしかったな。Numazualps

下山するあいだも林は明るいままで、快適でした。急な下りのときにひざを少し痛めたかな、と思ったけれど、市街地に出てすぐのところに日帰り温泉があって、そこで一風呂浴びたらけろりと直ってしまいました(筋肉痛や神経痛にいいお湯だったそう)。

* * *

沼津は関東からわりと近いように思うのだけど、でも関東ではなくて東海なのでした。それを実感したのは、パスモとスイカが使えなかったときと、もうひとつ、地元のカフェで「小倉コーヒー」というメニューにでくわしたとき。

食べ物で一番すきなのがあんこといちご(ベリー類)なので、迷わず注文、人生初のあんこ入りコーヒーを味わいました。オリジナルなメニューを出すお店だなあ、と感心したのだけど、後で東海圏の友人から「小倉コーヒー」は東海では定番メニューだと教わりました。「しるこサンド」という、ビスケットのあいだにあんこ味のクリームがはさまっているお菓子も、先日岐阜で初めていただいて感激したのだけど、このお菓子もやはり、東海圏のみなさんのあいだでは知らない人はいないみたい。。。カフェでは必ず小倉トーストがある東海圏。この小倉文化はなんなのだろう。引っ越したくなってしまいます!

小田原とか熱海とか沼津とか、気候も温暖で、海と森とが両方すぐそばにあって、小倉文化もあってよいなあと、しみじみ思う。

20160122_093512 沼津の八百屋さんでは伊豆のいちごを見つけました。大好きな小粒タイプ。お値段も1パック200円台だったので、自分へのお誕生日プレゼントに迷わず買いました。消費税分の小銭が足りなかったのだけど、倍音のでる渋い声で「へい、いらっしゃい、いらっしゃい」と言っていたおじさんは、渋い声で「サービス」と一言いって、おまけしてくれました。かっこよかった。。。このいちご、甘さとすっぱさがちゃんと両方健在で、最高でした。

そんなこんなで、温泉に山に海、あんこにいちご、と大好きなものに囲まれて過ごせてしあわせでした。これだけでももうものすごいプレゼントなのに、相方はさらに、すごくおもしろそうな本(『森は考える』と『ムーミン谷の夏まつり』)と、わたしが中学生のときに聞きこんだ懐かしい音楽のアルバムを、プレゼントしてくれました。

中学生のとき以来聞いてなかった曲に、じいっと耳をすませていると、懐かしくて死にそうに。。。音楽は本当にタイムカプセルで、開けたとたんに当時の鮮明な記憶がぶわーとあたりに広がる。。。

しかし今聞いてもかっこいい。というか、今だからこの楽曲のすごさがわかる部分もあって。「昔のわたし」にとって懐かしいだけでなくて、これを今聴いている「今のわたし」にも響く音だってことが、すごいことに思えました。初めて聴くという相方も、しびれていたし。。。ほんものは時代超えるっていうことなんだろか。

* * *

旧暦(太陽太陰暦)の大晦日ももうあとすこし。新しい1年、オープンでいること、正直であること、しあわせをちゃんと望むこと、ご縁や世界とのつながりを大切にすることを基本に、和やかに過ごしていけたら、と思っています。こんな時代だけれども、というか、こんな時代だからこそ。。。

ご縁あっておつきいあいいただいているみなさま(ひとも、ひとじゃないみなさんも)、今後ともどうぞよろしくおねがいしますm(__)m

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2015.09.03

はいあん

20150902_154824 暑い夏があまりにも突然終わってしまって、しゅんとしてしまっていました。相方は今年の夏は海で十分に泳げなかったことを嘆いていた。。。

そんなわけで、もう近所の浜の海水浴シーズンは終わったのだけど(監視員さんが常駐してくださる期間はすぎたのだけど)、相方が久々に連休をとった昨日と今日、一瞬だけだけれど、海に入ってきました。

海水浴シーズンが終わったことをきっと喜んでいらっしゃるにちがいないサーファーのみなさんの横で、泳ぐ。。。結構勇気がいるし気を使う。。。もちろん、サーファーに人気のない、波の立ちにくいスポットをねらって入るのだけど。

20150902_155054 今朝は午前の1時間だけ晴れ間になる予報だったので、朝起きて、パジャマから水着に着替えて、朝ご飯前にひと泳ぎ!気持ちよくて、どうして今年は夏のあいだにもっとこれをしなかったんだろう、と思いました。

まあ、今年の夏は暑すぎたってことか。。。

* * *

安保法案のことはひきつづき、がんばりどころで。。。でも先日の国会前を埋め尽くしたデモは、わたしにとって、今までで一番おだやかな気持ちで参加できたデモでした。

20150829_102954 国会へ行くまでの地下鉄の構内の歩道から、外に出た道路から、どこもかしこも、人、人、人。手作りプラカードの人、さりげなく「No War]と書いた小さなバッジをかばんにつけている人、ちびっこと一緒に来ている人。。。いわゆる運動家という感じの人がむしろマイノリティに感じるほど、ふつうの町中のように、世代もさまざまな老若男女が集っていたのでした。

もちろん危機感があるからあの場に自分も足を運び、数の1人になろうとしたわけなのだけど、でも小雨ふる中これだけの人がここで一緒に意思表示をしていることに、ほっとしたというか、なんというか。311後にあった6万人集まった脱原発デモのときも、似た感覚をもったけど、今回はその何倍も。

高校生、大学生のみなさんが特に心強くて。。そしてこの方たちのコールはリズム感もよくて、音楽みたいで、つい踊ってしまいそうになるくらい。この日もやっぱりみんなをひっぱっていたなあ。。

20140701_172853 あべはやめろ、というコールだけは声を合わせられなかったけど(あべさんがやめることで解決することなのかどうか、わたしにはわからないのと、あべさんに伝えたいのは「やめろ」ということでなくて、「平和憲法を活かした外交・国づくりをしてほしいです」ということで。。去年7月につくった写真のプラカードを今回も持参したのでした)、でも「戦争法案今すぐ廃案!」「廃案!」「廃案!」というコールは声を合わせました。

はいあん、はいあん、とみんなでいっていると、だいすきな台湾のシンガー、スミンさんのうたを思い出したりした。

台湾原住民・阿美族のスミンさんのつくるうたには、歌詞に「はいあん、はいやん」がいっぱい出てくる。日本語に訳すなら「えいさーはいさー」みたいな感じのニュアンスの言葉だそうで、阿美族に伝わるうたは元来そのように、特定の意味を持った言葉でなくて、どんな意味も込められる、自由度の高い言葉でうたわれてきたらしい。

スミンさんが「はいあーん」とうたうと、そこには大海原が見えたり、風が通るのが見えたりする。ほんとうにすごいすき。。。生で聞かせていただく機会も数回あったけど、ほんとうにやばいです、あのうたごえは。

中国語の歌詞をつけたうたも発表してはいますが、わたしがいちばんすきなのは、やっぱり「はいあん」がいっぱいでてくる曲たちです。

20150830_152045 そんなわけで、国会前で「はいあん」とうたいつつ、近くにいた家族連れのちびっこたちがかっぱをきてシャボン玉遊びをしてるのを眺めていた今回のデモは、わたしにとってはいつになくおだやかな時間でした。

小雨交じりの空に、シャボン玉、きれいかった。

日弁連(日本中の弁護士さんが加入する、弁護士さんの団体)の会長さんも、あのデモでスピーチをされてましたが、今回の法案で自衛隊が他国軍に提供・輸送できるとしている「弾薬」の定義の中には、法律上は核兵器も化学兵器も入り得る、そういうものになってしまっている、時の政権が解釈次第で乱用できてしまうあいまいさのある法律(政権にとっては自由度のある法律)が成立してしまうことは絶対にいけない、とおっしゃっていました。弁護士さんたちがそうおっしゃってることの意味を、帰り道、考えていました。

このニュースにもなっていますが、中谷防衛相は「ミサイルや手りゅう弾、クラスター弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を『法律上排除しない』と説明してきたが、五日の特別委では核兵器も加えた。化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も『法律上は可能』と述べた」とのこと。)

日本の自衛隊が、どこかほかの国(アメリカなど)が参加している戦争に加担していくことには、ほんとうに賛成できません。どんな形であっても。

アメリカやイギリスという国はさまざまな大儀で武力攻撃をするけれど、私の知っているイギリス人、アメリカ人は、「(他国の政府や組織に)人殺しをしてはいけない、と伝えるために、人殺しをするなんてわけわからない」といいます。

国がする意志決定と、国民の考えは一致しないのが常なのかもしれないけれども、でも。

武力は解決にならない。力で言うことをきかせるやり方は、しこりを残してしまう。それは歴史が証明してる。グループ間の対話について、ほんとうにさまざまな洗練されたやり方が今は存在していて、それらをフル活用していくことを世界のリーダーたちが選ぶのだって、今はもうごく現実的になってる。

世界のリーダーたちだけでなくて、わたしたち個人のレベルでも、力で凌駕することを本当に卒業して、相互尊重を基本にしてくことが、これから当たり前になっていくんだろうと、思う。

今は過渡期だから、チャレンジもあると思うけれど。でも、これはぐるりおおきな輪を描いて、もとの場所へとたどりつくようなことなんだと、なんとなくそう思っています。

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2013.11.24

ささやか効果

20131122_131609 16年ぶりに出たという、グラスゴーのバンドTHE PASTELSの新譜、最高です。

軽やかでアトモスフェリックでユーモラスでピュア。その絶妙な感じにヤラレています。。。参加ミュージシャンがみんな、音楽を、ほんとうに楽しんでいるんだなあ、きっと。

ジャケットを見たら、参加ミュージシャンの中に、尊敬する青柳拓次さんのお名前もあった(!)。びっくりした。。。(それにしても、誰が何の楽器を担当とか、そういう情報が一切書いてないので、青柳さんがどの曲で何をしてるかは不明。。。)

ついでに、グラスゴーは”下北沢の民度を高くしたみたいな町”なんだと聞いて、さらにびっくりした。。。いつか、行ってみたくなってきました。

そんなこんなの最近、家の中のいろんな「ちょっと不便」を改善する活動にいそしんでいました。

ちょっとしたことだけど、変えてみると、楽しいし、うれしい。毎回「うっ」となっていたことが、毎回「♪」という気持ちになることがらに変わるのは、ささやかな違いだけど、大きいことだなと実感中です。

「自分自身にささやかな恵みをもたらす者に、神はたくさんの贈り物をする」という文章を、最近目にしたけれど、ちょっと、腑に落ちました。。。

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20131120_135435 ちょっとしたことその1。洗面所のコップを「宇宙仕様」にしました。

はみがきやうがい後のコップ、洗面ボウルのわきに伏せておいていたのだけど、そうするとどうしても、縁のところが汚れてきやすい。伏せずに上向きにおいておくと、中の水がハケ切らない。。。そこで、コップの底に磁石をくっつけて、壁にくっつけちゃうことに。

きゅうばんフックの「養生板」に、ステンレスバージョンがあるのを発見したので、それを買ってきて、洗面台の壁に貼り、コップの底には手持ちの磁石をボンドで貼りつけました。

そうやってコップを側面収納したら、相方が「わあ!宇宙みたいだね!」と。←宇宙船の中のイメージですね。

水切れもよくなって、コップの縁もどこにも触れないので、気持ちよくなりました :)

このコップは、平和巡礼として知人が韓国をほぼ一周歩いた「WALK9」に、ほんのちょこっと参加させていただいたとき、釜山の町で買ったもので(韓国ってメタル製のお箸やコップが多いですね)、思い出の品でもあるので、大事に使いたいです。

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ちょっとしたことその2。お皿の収納をつくりました。

お皿入れ場に重なり合っているお皿。相方は、下のほうのお皿をとるとき、だるま落とし的に上のお皿が落ちてくることで、お皿に負荷がかかって割れやすくなる、と毎回心配していたのだそうで。わたしはぜんぜん気にしてなかったんだけれど、そんなことで毎回心配するくらいなら、簡単に解決できるんだから早く言ってよー、と思いました。。。

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で、板とくぎで、こんなものを作りました。サイズ違いを2つ。重ねるとこうなる。

ビフォー20131117_20003720131117_200148 &アフターの図。

(ふだんは手前に韓国のポシャギ布がカーテンのようにかかっていて、それをひらっとめくって出し入れします。ポシャギ布も、ソウルに行ったときに買ったもので、思い出の品です。。。)。

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20131121_143020ちょっとしたことその3。カーテンをつくりました。

相方がレッスンをしている部屋の、掃き出し窓のカーテン。2枚のうち左側のほうのが、びりびりになってから久しく。。。最初はやぶれたところの上に布テープを縫い付けて繕おうと思ってたんだけど、母の遺品を整理してたら、大量の買い置き布の中に、ちょうどよいのを見つけたのでした。

やぶれたカーテンも、前の家で暮らすことになってから自作したもので、そのときに使ったカーテンテープの余りが、まだ箪笥の中にあった。

20131122_142343_2 20131122_142352_2 母の残してくれた布に、余りのカーテンテープを縫い付けて、端の始末をして、小一時間で完成しました。ミシンを出すのが面倒だったので、今回は手縫いで。

前回かかっていたカーテンとほぼおんなじのができました :) すっきりさっぱりした。

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ちょっとしたことその4。洗面所に小さいチリトリとほうきを設置しました。

20131123_234302 洗面所を使うときに、髪の毛やホコリが落ちてるのに気付くわけだけど、そのとき、毎回ミニほうきとチリトリを取りにキッチンまで行って、また洗面にもどって、そうじする、という流れが煩雑でした(そんなに広い家じゃあないのに。。。なんかおっくうになって、「後でいいや」となってしまうことも多く。。。)。

洗面所にいるあいだに、そうじしたいなと思ったときすぐに、そこにほうきとチリトリがあれば、ちゃちゃっと簡単にできるのになあ、と毎回思っていました。

チリトリをブリキ板切ってつくろうかな、とも思いましたが、今回はおとなしく、新しいものを買いました。思いどおりの小ささのチリトリを(ほうきとセットで)、ちょうど、フリマで見つけたので。

20131123_234401_2自分は手が小さいせいか、とかく生活道具は小さいほうが好きです。今回のチリトリも、すてきな小ささでした!(子どもさんの「お仕事」(お手伝い)にも最適なサイズだ、とも思った。。。)

チリトリとほうきをかける場所は、L字のネジを、洗面内の棚にくっつけてつくりました。この棚は、実家に住んでいた頃、すのこを改造して自作したものなので、ネジ穴をあけるのにも躊躇しませんでした。

ささっとその場でおそうじできるようになって、快適です♪ 洗面スペースを気持ちよく維持できて、うれしい :)

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生活にささやかな喜びをつくることが、生きていることの喜びのボトムラインを押し上げるというか、そんな感じがしないでもないこの頃です。。

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2011.01.09

大丈夫なつもりでいるけど

Img_0239このところ、なにかを見ないようにしている、というか避けているような感覚、がありました。

なんだろう、なにを見ないようにしてるんだろう、と思ってすこしじっとしていたら、どうやら<さみしさ>みたいなものだったことがわかってきました。

珍しく仕事がお休みになった年末年始。寒さ深まるこの時期、ほんとなら、ストーブをつけた部屋の中で、音楽を聴いて、のんびり手仕事をする時間が一番すきなはずなのに、どうしてもそういうことができずに、すぐ外へ出かけてカフェとかで本を読んだりして過ごそうとしていて、

しかもカフェでものんびりゆったり本を読む、とかでなしに、なにか、逃避行中の一時避難所みたいにそこにいて、落ち着かない。。。

家でゆっくりするのがあんなにすきだったのは、やっぱりそこににゃみちゃんがいたからだったんだと、改めて気づきました。見ないようにしていたのは、その事実らしい。。

今は、家でゆっくりすると、にゃみちゃんの不在が際立つので、そういう時間から逃げようとしてしまうみたいです。

お腹にさしこむような痛みが続いたり、夜うまく眠れなかったり、今までなかったような体調の変化もあったりのこの頃で。

主観的な気分はのんきに楽しく元気にしてるのだけど、その影で、見ないように追いやっていた気持ちが、そろそろ「ここにいますよー」と主張を始めたのかも。。

今夜はひさしぶりに、大好きだったゴマサバを焼いて、にゃみちゃんとわけっこしました。

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Img_7361 Img_7362 昨夜近所のカフェへ、今年初ライヴにでかけました。Sachikoさんのライヴ。

はじめてちゃんときく彼女のうた声は、ものすごく胴体全体の中にじんわりとしみこんで、広がっていって。。寒いときに飲む熱い紅茶みたいでした。

こんなにいいと知らなかったので、びっくりした。。。寒い冬の日によくなじむ声だなぁと思いました。

ずいぶんお会いしてなかったのに覚えていてくださって、マイクの向こうから、手をふってくださってうれしかった。。

しかし、いいライヴに行ってしまうと、音楽なしでもふつうに生きていけるんですよ、大丈夫ですよ、というつもりになっている日常に戻りにくくなってしまって困るな、とちょっと思った。

音楽についても、どうやら、「にゃみちゃんなしでも(にゃみちゃんのスピリット以外のとこと一緒でなくても)ふつうに生きていけるんですよ、大丈夫ですよ」というつもりになって暮らそうとしてるのと同じ、強がり感みたいなのがある。。

なしでも大丈夫、ふつうに生きていける、というふうでないといけない、と思っている自分がいるもよう。でもこうして書いてみると、なんでそんなふうに思うんだ?って思う。。。

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2010.11.22

魔法のじゅうたん

この曲は、最初から最後まで、にゃみちゃんとさよらなした後の日々に、ぴたっと合致していて、わたしも相方も、びっくりしたのでした。

火葬場の待合室で待っているあいだに、相方がギターを弾きながらこの曲を歌ったときに、それまでなんども聴いてたこの曲が、「そういうことだったのかー」となって。。。

火葬していただいたお寺を出て、駅までの暗い夜道を、お骨を胸に抱いて歩きはじめたとき、最初に口をついてでたのも、この曲のなかの「こころはひとつになったんだー/パンとピーナツクリームほおばって/どこへ行けども思い出せるならば~」というとこでした。

しばらくのあいだ、聴くもの自分で歌うのも、泣けて仕方なかったけれど、今はずいぶん大丈夫になった。

今は、にゃみちゃんの不在に慣れていっている自分がいて、かなしい。

というか、慣れないと、いつまでも寂しいしかなしいままなのに、でも慣れてしまうと、ここににゃみちゃんがいたってことが消されてしまうようで、それがいやで。

家の中もにゃみちゃんがいたときのまま、なにひとつ変えたくなくて、冬支度をずるずると先延ばししていました。

でも昨日、ついに(寒さに負けて)、ウールのじゅうたんを出してきて、リビングに敷いて、そのためにテーブルの配置も少し変えました。

変えてしまうことに抵抗があったけれど、変えてみたら、部屋の中があったかい雰囲気になって、寂しさが減った感じです。

よかったな。このじゅうたんも、魔法のじゅうたんなのかな。

今朝は、夢の中でにゃみちゃんがベッドサイドに来てくれました。

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2010.05.04

すきな理由? その2

連休中ですが、家でのーーーーんびりしているのがこのうえなく幸せな今日です。

この島は今全般におやすみデイズで、遊んでいる人が多い、と思うと、こころが安らぎます。(遊べないで逆に忙しくなっている人もいると思うのですが。。。そして自分はGW明けの締め切りがあって、そんなにあそべないのですが。それでも、まわりの空気がユルくてお天気もいいので、たいへん機嫌がよいです)。

Img_6444 さて、猫もだいすきですが、ミュージシャンのカジヒデキさん。すきなのです。

自分のアイデンティティからすると、なんで?と思ったりもするんだけれども、やはりどうしても幸せになるのでした。

先日、幸運なことに相方がチケットをとってくれてたので、カフェライヴに行きました。開場時間より少し早く着いたので、近くのカレーやさんでカレーを食べていて、ボンヤリしながらふととなりのテーブルをみたら、カジくん本人がそこにいてびっくりしました。

あまりにびっくりしたので、まるでなにごともなかったようにしてしまいました。。(シティーカントリーシティーで曽我部恵一さんに出くわしたときは、びっくりしつつちゃんとあいさつもできたのになぁ。。)。

カフェライヴでは、ある1曲のとき、「ずいぶん楽しそうに演奏してるなぁ、なにがあんなに可笑しいんだろうなぁ」とほほえましく見てたら、じつはギターを演奏する左手の指がつっていた、ということがありまいした。

曲の途中で、にこにこしつつ「みんな、あいしてるよ~」とかなんとか言いながら左手を上にあげて振ってくれてた(正確には指をシェイクしていた)のは、つった指をどうにかしようとしてのことだったと後でわかったんだけれど、ああいうときのとっさの対応まで、なんだかいいなあと思うのです。

(あいしてる、といいうのはちょっとベタ過ぎるのだけれど、カジくんがいうと、泡の立つソーダくらいの軽さしかありません)。

存在感も楽曲も、泡の立つソーダみたいに軽やかで、言葉遣いや人への配慮には愛と尊敬と礼儀があって、そしてブリティッシュな、パンクなところもあって、とにかく自分のすきなこと・人がたのしいことを、周囲に迷惑かけず、自分の中での葛藤も特になしに、楽しく機嫌よくやっているように見えます。

(存在感としては、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』の主人公コランのようです。『日々の泡』から、コランについて少し抜粋:「女の子にはやさしく、男の子には明るく話しかけるのだ。彼はいつでも何となく上機嫌だったが、そうでない時間は眠っていた」

そしてなによりも、曲がすごいです。アルバムをヘッドフォンで聞くとハイになります、ポップでかろやかなのに、細部まですごく密度というか精度の高い音楽だ、と思います。

あとはやはり、人間だとは思えない、というか、人間臭がしない。。。 ひょっとしたらほんものの天使なのかもしれないぞ、と思うことがあります(『日々の泡』のコランについてもそう感じる。。まぁあちらは小説の中の人だけれど)。

なんか『日々の泡』を久しぶりに読み返したくなってきました。。。お天気もいいし、散歩がてら!

 

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