2017.07.10

運び運ばれていく旅:用の美・用のない美

Img_1666 突然の旅シリーズ、最後は、ついこないだまで行っていた鹿児島で、こちらは一件大事な用事があって行きました。急なことだったので、宿の住所と用事の場所の住所だけとりあえず把握して出かけけれど、なんかスルスルと運び(運ばれ?)ました。沖縄と北海道の旅で、だいぶんコントロールしすぎを手放して流れに身を任せることを覚えられたのかもです。

鹿児島空港について、例のごとく案内所のお姉さんに市内への行き方を聞こうと思ったら、係の女性ふたりはなんか雅やかにお茶をいれてカウンターの隅のお客さんに出していて、はて?と思ってよく見たらそこは霧島市のPRカウンターでした。で、ほんとの案内所は~?と数歩あるいたら、外への出口手前に鹿児島市内行きのバスの出発案内の小さな電光掲示板があって、そこに今夜の宿のHPに「最寄り」だと書いてあった「高速船ターミナル」に行くバスがあと5分で出る、とペカペカしていて。バスの券をどこで買うのか、わからんくて、とりあえず乗り場に行ってみたら、荷物係のお兄さんが「そこで買えば乗れすよ」とお外にある自動券売機を教えてくれて。言われた値段のを買って乗りました。

高速船ターミナル行きは本数が少なかったらしく、これを逃すと2時間くらい後になったらしかったから、助かりました。

Img_1513 バスを降りたら、そこは港でした。目の前にどーんと桜島が。でも桜島に行くことは今回はないかな、と思いつつ、椰子の葉が風でサラサラ言う音を、久しぶりに聞きました。港の脇の公園では、芝に座っておしゃべりするひとや、虫とり網で蝶を追う女の子。なんだか懐かしい光景でした。

宿までは歩いてほんの数分だったけど、歩いてるうちに汗だくになっちゃったので、宿のHPで紹介されてた近所の銭湯(鹿児島市内の銭湯はみんな温泉らしい)に行ってさっぱりしようと思ったけれど、名前だけ覚えてて、場所がわからず。宿には近隣のマップとかも見当たらず。宿の人もひっこんじゃっていて、うーん、どうしよう、と思ったら、宿泊者の男性がいらして、こんにちはとあいさつしたら、その人はたまたまこちらが地元という人で、「今日はどうするんですか?」と聞かれて温泉行きたいんですといったら、「ここは温泉の土地だからね、いっぱいありますよう」と。

で、泉質さえよければ、と言ったら、それなら桜島にフェリーで渡ってすぐの国民宿舎、あそこは泉質なら確実です、と。桜島にフェリーでってそんなに気軽に行けるものなの?と思ったけれど「地元の人間はふつうに行き来してますよ、24時間運航してるんですよ」と。プチたまげて、ならば行ってみようかな、と思いました。

Img_1537 Img_1533Img_1535フェリー乗り場まで歩けるけれど、暑いから自転車がいいですね、とその人に言われたので、言われたとおり、宿の自転車を借りて、自転車ごとフェリーに乗り込みました。こんなの初めてやったので、どきどきしました。ほかのみなさんは車か徒歩で、自転車はわたしだけ。。。車の列と一緒に乗り降りしたのでどきどきした。

Img_1538 そして言われたとおり、フェリーを降りてすぐのところにある国民宿舎の日帰り温泉へ。めちゃ鉄っぽいお湯で、地元の方が大勢いらしていて、「ここのお湯につかれば鉄瓶で沸かしたお湯を飲むのといっしょよ」と教えてくれました。そして「こっから車で10分行ったとこの白浜温泉もいいお湯だよー」と。「自転車でも行けますか?」と聞いたら「うん、行けるよ」と言われたので、次はそこ行ってみようと思いました。

* * *

翌朝は用事のある場所へ。待ち時間があってひまだったので、そこのロビーにあった雑誌やらの読み物の中から、木造住宅メーカーの冊子を出して見ていました。なんとなく手にとったけど、すごく快適そうなおうちばかり紹介されていて。よく見ると、夏至・冬至の日光の軌道を調べたうえで、冬の窓からの日射量を最大限にすべく「道路に対して斜めに」建てたり、窓際に落葉樹を植えて夏には日陰ができるようにしたり、壁の中に自然の空気を循環させて暖をとったり涼を実現するシステムを使っていて(10年前くらいに読んで感動した『まちに森をつくって住む』という本の中に、この空気循環システムも紹介されていたのを思い出しました)。で、その冊子の末尾に、この住宅メーカー、シンケンさんが鹿児島の中心街に北欧雑貨のカフェを運営していて、ランチを出しているとあったので、用事が終わったあと、行くあてもなかったので、そこへランチを食べに行ってみることにしました。マルヤガーデンズというビルの7F。

で、エスカレーターで上がっていくと、なにやら選び抜かれた感じの、とても佇まいの美しい生活品が並ぶお店があって、そこで鹿児島に伝わる民芸品などのコーナーも設けてあって、楽しくながめていたら、お店のお兄さんが声をかけてくれて、鹿児島に伝わる縁起物「おっのこんぼ」について教えてくれました。おきあがりこぼしです。家族の人数プラス1人分を、台所に並べておくといいそう。そして一度並べたら、ずうっと並べておいていいとのことだった。今でもお年寄りのお宅にいくと、まっくろになったおっのこんぼが台所に並んでいたりするんですよ、とのこと。

このお店には、今回もしかして行けたら行きたいとおもっていた、知的障がいのある方の支援施設、しょうぶ学園のみなさんによる手仕事の品々も並んでいて、うれしかった。

お店の名前を良く見たら、D&Departmentでした。関東でも見かけたことがある気がして、帰宅してからサイトをみたら「47都道府県に1カ所づつ広がる、食を含めた”その土地の個性を感じ伝え続ける仕組み”として現在国内8店舗が活動中」とあった。いい仕事しているなーと思いました。

Img_1554 で、D&Departmentのフロアからさらに7Fまで上がって行くと、シンケンさんのやってる雑貨カフェはこれかな?という場所がありました。緑いっぱいのルーフテラスもあって、ここでは養蜂もしていると書いてあった。そしてなんとミニシアター系映画館もありました。映画のラインナップをみたら、ちょっと気になる作品もあったけど、鹿児島まで来て映画でもないよね、とそのときは思った。

で、おいしくランチをいただいて。それから今日も暑くて汗だくだったので、またお風呂に行くことにしました。市内には温泉の銭湯が星の数ほどあるのだけど、宿のHPで名前だけ紹介されていたお風呂、湯乃山温泉の場所をネットでしらべて、街めぐりバスに乗って行きました。ここはおじさんが個人的に(?)経営されているような感じのこじんまりとしたお風呂。街からすぐなのに、別天地でした。

個人風呂と女性用のお風呂とどちらに入ってもいいですよ、と言われ、迷ったけど女性用の広いお風呂へ。なんせ気温が暑いし、お湯も熱かったけど、そのうちじわっと気持ちよさが来て、なんか知らんが、おかあさんに抱っこされてるみたいな感覚になりました。。。なんか泣けてきた。温泉に入ってこんなことになるの、初めてです。思えば、鹿児島に来て以来、どこにいってもクロアゲハ蝶やきれいな青い体の蛾がいて、もしかして一人旅がさみしくならないように母が一緒に旅してくれてるのかなあと思ったりしました。Img_1518

鹿児島は母が亡くなる直前まで療養に来ていた場所で、母がいた頃一度お見舞いに来たけど、そのときは父が道案内やらみんなしてくれたので、どこになにがあるやらわかってなかった。けど、日々治療に通ってた市内の病院の前も、母が泊まってたウィークリーマンションのある界隈も、今回通りがかったらすぐここだとわかって、懐かしくなりました。母と父と3人で入ったおそばやさんとか、うなぎやさんも見つかった。鹿児島にいるあいだじゅう、母のことをいつもよりいっぱい思い出していました。

湯乃山温泉でそうやって半泣きしつつひとりでお湯につかってたら、「毎日入りにくる」という地元の方がいらして、その方は「ここのお湯は市内で一番いいですよ、塩素も加水もなにもないそのままのかけ流しだからね」と教えてくれました(温泉のご主人は素朴なおじさんで、やさしい人で、「ここのお湯はぬるぬるしているから、すべりやすいから気をつけてね」としか言わなくて、泉質についての案内とかは目立つところに貼ったりしてなくて)。そのうち常連さんがさらにどどどっといらして、お風呂の中はいっきに団らんの場となりました。鹿児島弁のイントネーションが心地よかった。

Img_1568 脱衣所は窓が開いていて、扇風機。エアコンとかはなくて、どこも自然の風で涼むようになっていて。お外のお庭の池の横に、おおきな扇風機があるテーブルがあって、涼めるようになっていました。テーブルには穴が開いていて、そこからバナナが生えていました。飲泉用の蛇口が池の脇にあって、地元のおじさんがポリタンクに入れていて、近くにいたおばさんも「ここのお水は体にいいんだよ」と教えてくださったので、わたしも水筒にもらってきました。

夏なのでまだ陽は長くて、暑かったけど、お風呂に入って頭も洗って、濡れた髪に風が通ると涼しくて、そのまま街の中心方面へ歩きました。夕方は少し風も涼しかった。

それでもさすがにずっと宿まで歩くとなるとあづいなーと感じだして、途中にあった市営(?)のサイクルポートで自転車を借りました。市内のあちこちにサイクルポートがあって、200円の登録料を払うと30分以内なら無料で、どこのポートからも乗ったり、降りたりできるようになっています。なかなか便利でした。これでドルフィンポートまで行って乗り捨てて、ドルフィンポート内にある、薩摩の物産市に隣接する海鮮食堂でおゆうはんを食べました。

ここは窓から桜島を眺めながらごはんが食べられて愉快です。ドルフィンポートは、今回の鹿児島行きで初めて行きましたが、お気に入りの場所になりました。最初に空港からのバスを降りたらすぐにドルフィンポートだったので、ちょっと寄ってみたのだけど、なんかハワイみたいだった。ごく小さなショッピングモールなんだけど、各店舗だけが室内で、店舗をつなぐデッキはオープンエアで。そこに足湯やら、テーブルと椅子やら、小さな水場やらがあって、そのデッキのどこにいても目の前は錦江湾を望むのんびりした公園で、その向こうはどーんと桜島が見えるのでした。鹿児島の中心街の喧騒とはぜんぜん違う、のどかさがあって、わたしには天国のような場所でした。

毎晩、宿に帰る前にはドルフィンポートによって、地域物産市で売られているベーグルを1つ、翌朝の朝食用に買いました。

* * *

快晴で猛暑だった1日目、2日目を経て、3日目は目覚めたら大雨でした。わかってなかったけど、台風が来てたのでした。ポンチョと傘は持ってきてたけど、さすがにこの雨の中出かけるのはなあ、と思って、とりあえず、衣類の洗濯をして屋上のガス乾燥機に放り込み。朝食を食べて。今日は午後まで雨らしいので、こないだ見かけたミニシアターで映画を見ちゃおうか、と思い立ち、宿でご一緒した(の)さんにそう言うと、彼女は今は一時的にこの宿に長期滞在中だけど、そもそも鹿児島に住んでいる方で、いろいろお詳しくて、このミニシアターの支配人の女性がそれまで鹿児島で良質な映画を見れる場をつくろうと公民館とかを借りて地道にやってきたこと、それがマルヤガーデンズの上に常設のシアターを持てることになったこと、オープン前日のてんやわんやなど、いろんな興味深いエピソードを教えてくださいました。で、この映画館の支配人の方について「ご自身をまったくよく見せようというのがない人なんですよ」と(の)さんがおっしゃってたのが印象に残り、ときどき入口にいらっしゃることもあるというので、一瞬晴れ間がのぞいたすきに宿を出て歩いて、気になってた1本を見に行ってみました。

Img_1582 支配人の方は入口にいらっしゃって、ごあいさつできました。こんなすてきな場をつくってくださっていて、と言うと「見に来てくださる方あってこそです」と。ほんとうに素朴な感じの方でした。入口のカウンター下にあった「39席の映画館。いつもみんなで映画(ゆめ)を見て~」という手描きの貼り紙、すてきでした。

映画のあと、雨降りの予報だったのになんだか雨の気配がなくなっていて、少し中心街(天文館)あたりをぶらぶらしたのだけど、街にいるのはやっぱりくたびれるな、と思って、こないだ桜島の温泉でおすすめされた、もう1つの桜島の温泉を目指してみることにしました。いったん宿に帰って、宿の自転車を借りて、またフェリーに自転車ごと乗りこみました。

Img_1601 フェリーを降りてから時計周りに、島の1/4を自転車で走りました。すぐだと思ったら、これが意外と遠かった。。。7.5kmくらいあったみたい。50分近く、ママチャリで走りました。海沿いの道なのでアップダウンはほとんどなく、とにかく静かでのんびりした道で、車もほとんど通らずで、のどかに走りました。空は明るく曇っていて、カンカン照りよりも涼しくてよかった。それでも汗マックスになったけれど。走っていて左に海、目の前に緑の桜島御岳がどーんとあるこの道の感じは、またしてもハワイ・オアフ島の西側を走ったときの感じと似ていた。錦江湾には野生のイルカもいるというし、どうもここらへんはハワイ感がある。。。

Img_1591 白浜温泉センターもやはり地元の方御用達のお風呂でした。ここは露天風呂があって、台風一過の空にはまだ雲や風がだいぶ残っていたので、外で風に吹かれながら入るとちょうど気持ち良かったです。地元の方たちにとってはやっぱり団らんの場になってたみたい。よそものはおじゃまかなーと気にはなりました。ご迷惑かけないように、気をつけましたが。。

また50分近く自転車を走らせて港に戻りました。濡れた髪に風を通しながら。。。汗かかないようにのんびり走ったけれど、やっぱり暑くはなって、港の脇にあるローソンのィートインスペースで涼みました。ゆっくりしてたらどんどん黒雲が御岳の上に広がりはじめたので、いそいでフェリーに乗って戻りました。自転車でフェリーに乗り込むのは、何度やっても愉快です。

宿に帰って、明日、できたら行きたいと思ってたしょうぶ学園へのアクセスを、宿のパソコンで調べました。中心街からバスで30分、ということはわかったけど、バスが何時にどこから出るのかとかよくわからず、がんばって調べた。。。

* * *

翌朝は目覚めた時は晴れてたけれど、予報では午前中からまた雨になるとのことだったので、早めにチェックアウトして、しょうぶ学園を目指すことにしました。

Img_1613 宿でご一緒した(の)さんにさよならのご挨拶をしたら、河童の形をしたもなかをお別れにくださって。開けてみて、と言われて開けてみたら鼻がつぶれていので「ちょっと待って!」と走っていって「こっちのが状態がいいかも!」と別のと取り替えてくれました。昨日が誕生日だったから、お祝いにみんなに配っていたの、とのこと。そういうお祝いの仕方、いいなあ、と思った。(の)さんはいろいろにおやさしいし、興味深いお話をいろいろしてくれて、おかげさまで一人旅だったけど夜も寂しくならずに過ごせました。ほんとにありがとうでした。

そしてこの日も湿度マックスの中、街路樹や建物の日陰を渡り歩いて天文館バス停へ。ただ天文館バス停といっても数カ所あるし、バス会社もいくつもあるし、なかなかトリッキーでした。やっとしょうぶ学園まで行く路線のバス停を見つけた頃にはすでに汗だく。。。日なたをさけるようにしてバスを待ち。。。バスに乗った後、エアコンで涼みました。

中心街から20分くらい走ると、緑の山の中を行く感じになって、ぐっと幸せ度が上がりました。それからまた市街地に出ました。しょうぶ学園はバス停から徒歩1分とサイトに書いてあったので、バス停を降りた後のことは調べずに行ったら、バス停のまわりはただただおうちがあるばかり。東西南北どちらへ行ったらいいかもわからずでした。しかもカンカン照り。。。小さい日陰を見つけてうずくまって、対策を考えていたら、道路向こう側のバス停に、バスを待つ人が表れたので、いそいで行ってその人に尋ねました。

Img_1623 そしたらもうすぐそこですよ、と教えていただけて、歩いていったら、なるほどすぐでした。敷地へ通じる道は両側の並木が美しくて、そこを抜けると広い敷地内に工房やカフェやショップやギャラリーが点在していました。

Img_1641Img_1643 それらをつなぐ道を緑や木々が縁取っていて、広場の真ん中らへんにはロバと羊がいてのんびりしていた。住宅街の中の一角なのに、この敷地内は生物多様性が半端なかったです。ロバ・羊舎の脇に小川がしつらえてあって、その周囲にも草木が豊かに茂っていて、赤とんぼ、青トンボが飛び交っていて。小川の水の中をのぞくと、タニシ(?)がいっぱいいた。いったいこれはどうやってるんだろう?と思ったほど、人工の場に有機的な命の広がりが実現されていました。

しょうぶ学園は障がいのある方のための支援施設で、利用者の方はここで暮らしている方もあれば、通ってきている方もあるようでした。

まずSギャラリーという、利用者の方による作品を展示しているギャラリーへ。歩いてきて暑かったので涼みたくもあって入ったら、ぶっとんだ。nui projectという、縫うという行為から生まれた作品たちが並んでいたんだけども、どれも、目を見張る美しさでした。何人かの人がそれぞれに”縫った”作品が並んでいたけれど、そのすべてに、ここの敷地内の自然環境に通じる確かな有機性がありました。命の表現なんだな、ということを、実証している、と思いました、この有機性が。。発露、なんだと。。

Img_1624 それから、とりあえず一息つこうと、向かいのパスタカフェOtafukuへ。ここも、予想をはるかに超える居心地の良さで。妙なことだけど、鹿児島にきて今がいちばんほっとしているかも、と思ったくらいです。2階の、大きな窓いっぱいに桜の青々とした葉っぱが風で揺れるのを映画のように眺められる席で、ランチをいただきました。オーダーをとってくださった店員さん、ドリンクのチョイスを1つ1つ読みあげてくださるのがうれしかった。

Img_1629 松の実ソースの、コイン型の型押しパスタ。器もここの利用者の方の手仕事の品で、パスタを食べ進むと下から数字の列がが出てきました。

Img_1631 メニューを束ねてある革のような質感の和紙のカバーも、スープ皿の受け皿の木のお皿も、磁器のパスタ皿も、陶器のナプキン入れも、デザートが入ってきた朱塗りの木の器も、木のスプーンも、ここのみなさんの手仕事の品です(コーヒーカップとソーサーは、ここの方が選んだ、別の土地の作家さんの作品だそうでした)。壁のアート作品も、店内の内装のディテールにも、利用者の方の作品がそこここにありました。

Img_1644_2 別棟のショップの入口の床のタイルも、1枚1枚が作品でした。

Img_1632 カフェレストランのテーブルに置かれた伝票の裏にあった言葉が、ここの、この心地よさのわけをひとことで表してるように思えました。

しょうぶ学園とこれまで44年歩んでこられた施設長の福森さんは、民藝の心得のある方だということはどこかで耳にしていたけれど、民藝とアートとがこうも有機的に交わっている場になっているとは、予想以上でした。用の美と、用を目指さない美と、その両方が等しく大切にされている場の心地よさ、といったらいいのかな。この環境がまるごとひとつの表現というか。。

自分の中である種対極的だったものが、ここでは地に足ついて調和していたので、、、あ、この境地、と、、まだおぼろで頼りないけど、道案内をいただいたような、なんかひとつ通路?回路?が開いたような、そんな感じがしています。

ショップには利用者のみなさんと“コラボ”した作品がたくさん並んでいて、じっくり拝見しました。とっても気になるものはたくさんあったけど、荷物と予算の関係で連れ帰ってきたのは2点。小さな陶器の器と、段ボールで作ってあるおうち型のポストカード。

Img_1645 ペイント植木鉢も大変すてきで、見ているだけで楽しい気持ちになりました。

スタッフの方と利用者の方とが一緒にこの場をつくっているのが、伝わってくる場面にも出くわしました。わたしがショップを見てまわったあと入口へ戻ると、その脇のほうで、スタッフの方と、ショップまわりでのお仕事を受け持っているらしい利用者の方が、小さなミーティングをしていました。そうやってその場その場で、何を難しいと感じてるのか、など、お互いのありようを確認しあっていってるんだなあ、という印象を持ちました。

バスでまた天文館に戻って、最後に、母が療養中滞在していた一角を歩いて、そこにある温泉銭湯に入りました。4年前?に母のお見舞いに来たとき、ここの銭湯で、介護職をしている姪っ子さんが手造りしているというEM石鹸を2つ買って帰ったら、これが虫刺されにも効くし、すっかり愛用していたのだけど、そろそろ2つ目がちびて来ていて、もしまだ売っていたら、買えたらいいなと思っていました。今回、ないかなーと思ってたら、さほど目立たない感じで棚の上に、籠に入って並んでいたのを見たときは嬉しかったです。

ひと風呂あびて、手造り石鹸を買って、カンカン照りの中、また街路樹や建物の日陰を伝い歩きして空港行きバス停へ。帰路に就きました。

* * *

まったくの一人旅は、かなり久しぶりだったけれど、相方は豆に携帯にメールをくれて、きょうだいともラインができて、宿やお風呂でご一緒した方たちともお話できて、意外とぜんぜん寂しくなくて、むしろ、ちょうどよい感じでした。宿のグリーンゲストハウスもものすごく快適で、清潔で、何不自由なく過ごさせてもらえて、ありがたかったです。

LCCの飛行機も、手軽に券を買って、軽い手荷物だけもってポンと乗れて、ポンと降りれて、快適でした。前日に航空券を買って旅に出るのは、学生時代にしたきりだったけど、やっぱりいいな。思い立ったら吉日、です。今回は旅のメインの理由(用事)がそんなにノリノリに前向きなものではなかったので、そこまでノリノリに楽しい一人旅ではなかったけれど、こういうふうに遠くに出掛けられる可能性というのは、前回の北海道と合わせて、十分に体感できました。

Img_1520 Img_1656 連日あづくて汗だくになって歩く/自転車で走る→かきごおり(白くま)食べる→温泉に入る(鹿児島市は銭湯が全部温泉らしかった)の繰り返しで、なんだかシンプルにただ存在していたという感じの日々で、デトックス?されたような。。

相方と一緒に旅していたら3倍楽しかっただろうな、とは思うけれど、今回は自分の体調のせいもあるのか、ひとりでいることもちょうどよかったです。知らない土地にひとりでいるのって、独特の開放感があるもんだなーと思いました。

蝶やきれいな蛾やトンボにいっぱい会えたのも、うれしかった。暑さと湿度はほんとにやばかったけど、南国ってやっぱり好きだな、と思いました。鹿児島のみなさま、お世話になりました。。

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飛んでしまった

Img_1341 北海道に、相方が仕事で出かけるのに合わせて「一緒にきちゃえば」と冗談まじりに言われたので、まさかーと思いながらLCCのチケットをちょっと見てみたら、意外とお安いんだ、とわかって、相方が出発した翌朝にわたしも航空券を買って、そのまますぐ荷造りをして、仕事とパソコン持って空港へ向かってしまいました。LCCの初体験。急に決めたので、LCCに独特の、荷物の個数や重量制限のこととか、ぜんぜん知らずに行ってしまったけど、3月に軽い手荷物の旅をしてからそのスタイルになじんでたので、ふつうに荷造りして行っても手荷物の制限にひっかかったりせずに済んで幸いでした。。。

飛ぶこと自体に不安はなかったけど、ほんとに行っていいのか、不安だったし怖かった。とにかく、ここしばらくこころに乱気流がしょっちゅう起きて疲れ果ててたので、飛行機の中ではひたすら眠りました。

新千歳空港に着くまでのことだけ把握して家を出たので、空港に着いた後のことはまったく白紙でした。とりあえず空港の案内所のお姉さんにここからどこへどういったらいいかを教えてもらって、札幌駅へ。

日中の仕事の邪魔をしちゃいけないと思って、空港に着いた後に相方のケータイに「来ちゃった」と連絡。「おー」という返信が帰ってきました。迷惑になるようなら、一人旅をしよう、と心に決めていたのだけど、その夜から合流させてもらえました。札幌在住の相方の友人(み)さんと会って、お茶とおゆうはんをご一緒しました。彼女はわたしのお気に入りの人で(こういう言い方すると妙ですが)、相方を家で見送ったとき「(み)さんによろしくね」と言ってたのに、自分がご本人とこうしてお会いしているのが不思議でした。(み)さんには、つらいときは薬に頼ることも考えていい、と教わりました。彼女も経験者だったのでした。。

Img_1348 翌朝は、また相方は仕事だったので、私もどこかカフェで仕事しようとパソコン持って出かけたのだけど、カフェがみあたらず、とりあえずちょっと寄ってみた円山公園の公園事務所で、円山公園に"原始林"があると書いてあったので、パソコンはロッカーに入れて森へ歩きだしました。

公園らしく整えてある一角には、エゾザクラ((かわいい赤い実をいっぱいつけていました)や白樺やハルニレ、アカナラが。

Img_1349 Img_1354 Img_1379 でも森へ少し入ったら、カツラの巨木のオンパレードでびっくりしました。あっけにとられて立ち尽くしてたら、エゾシマリスとヒガラが1メートルくらいのとこまで走り(飛び)寄ってきた。なんかチェックされたみたいでした。

Img_1358 Img_1363 その少し先へ行くと倒木のうろに、ヤマガラとエゾシマリスがかわりばんこに入っていって、ごはん食べてるとこに出くわしました。

エゾシマリスはほっぺたパンパンに膨らまして食べていた。。。そしてエゾシマリスは尻尾がうさぎみたいだったのが意外でした。エゾシマリスはみんなうさぎ尻尾なんだろか?Img_1361

精神のコンディションはかなりあやうかったときだったので、森の生き物や草木のみなさんにはとても助けられました。

おひるごはんを、相方と合流して、関東から北海道へこの春引越しされたばかりの(な)さんとご一緒しました。久しぶりに会えて、お話聴けてうれしかった。お元気そうで、なによりでした。

午後は相方は仕事に戻り、わたしも今度はカフェで仕事。今回は小さい19リットルのキャリーケースにパソコンを入れてきたのだけど、それでも必要な荷物はみんな入って、不自由なかったです。3月にやってみた軽い手荷物の旅のおかげさまで、身軽に旅に出ること自体は楽になりました。

仕事が終わるころ、会場の(な)さんのおうちへ伺って、相方と合流したのだけど、この(な)さんは天使のような方で。初めてお会いするのに、なんだか心の奥がちょっとほどけました。不思議でした。

翌朝は、目ざめて顔を洗っていると、相方が「こちらに住んでる(か)さんが朝ごはんの時間なら会えるそうなんだけど、どう?」と。初対面の人に会うのがとーても苦手な自分だけれど、なんとなくこのときは、うん、と返事をしていて。朝早くからやっているというおしゃれなカフェに連れていっていただきました。ご縁あって、親子2世代で同じことをお勉強されているというお話など、興味深かったです。

この(か)さんは、円山公園の“原始林”とつらなっていてもっと広大な原始林が広がっているという藻岩山のほうにお住まいとのことで、そちらのほうにキャンプできるところやログキャビンに泊まれるところがあるんですよ、と言われたとき、少しこころがわくっとしました。

朝ごはんの後お別れして、相方と登別へ行きました。相方はいつも仕事のあと最終日に虎杖浜の温泉宿に泊まって体を休めることにしていて、今回もその予定だったのでした。虎杖浜に直行してもよいけど、その手前の白老というところにアイヌ民族博物館があると耳にしたので、ちょっと行ってみたい気もしました。

じゃ、とりあえず電車に乗って、白老の駅を見てから降りるかどうかきめよう、ということにして、電車に乗り込み、白老の駅について「どうする?どうする?」と少しまよってから「降りようか!」と降りてみました(電車は本数があまりないので、ここで降りるか降りないかで1日の計画がだいぶん左右されるのでした)。

Img_1400 Img_1397 19883520_10213451912831178_12756058 白老の駅のロッカーに荷物を預けて、さらに身軽になって、アイヌ民族博物館のあるポロトコタンまで歩きました。湖畔にカヤでできたアイヌの伝統家屋、チセが何軒も立ち並んでいました。白樺の木立が美しかった。

一軒一軒のチセは中が異なっていて、うたとおどりを披露していただけるようになっているチセや、草木から繊維を取り出して織る手仕事の展示があってお二人の女性が普通に(見せるためとかではない感じで)服を縫っているチセ、暮らしの道具が展示してあっていろりで鮭がいぶされているチセなどありましたが、どこのチセにいる係の方も、お互いに仲良しそうで、楽しそうに談笑されていて、ここのコタンのコミュニティの雰囲気を感じました。

しばらくゆっくり過ごしました。アイヌ民族博物館は見ごたえのある展示だったけれど、一番印象に残っているのは、昔の暮らしを再現した大きいサイズのジオラマのような展示です。手前に森、奥にチセがあって、そのまわりでアイヌの人たちが生活のさまざまなことをしているんだけど、その人形たちは比較的小さくて、手前側のほうには、人形たちよりもずっと大きいサイズでクマやテン(?)や、ウサギなどが躍動感みなぎる動きのあるポーズで配置されていました。動物たちの展示が本当に生き生きしていて動きを感じさせたし、大きかったのです。

アイヌの人の自然観が、この展示に表れているようにも思いました。自然の中で人の占める位置や割合を照らし出しているのかもしれない気がした。こんなふうに人の暮らしを立体展示しているものは、これまで見たことがなかったです。

Img_1410 博物館を出て、カフェに入って、野草茶とじゃがいもを凍らせたあと練って焼いたおもちをいただきました。おいしかったので、「これ冷凍庫でじゃがいもを凍らせたら、うちでもできるかなあ」とつぶやいたら、お店の方が「できますよ」と答えてくださって、作り方を教えてくださいました。北海道では冬場屋外で凍らせるそうなんですが、家庭の冷凍庫でもできるそう。

店内に、アイヌの伝統食についての本や、アイヌの方々が草木をどう利用してきたかについての本などが置いてあったので、興味深く読みました。そのうちの1冊が博物館の売店にあったので、買ってきました。野草をどんなときにどう利用してきたかを、複数の方々への聞き書きと、文献とから、抜粋している内容。わたしのいただいた野草茶のエントは日本語名ナギナタコウジュ。道端によく生えている草です。アイヌの方は風邪をひいたときや二日酔いのときによくお茶やお粥にして摂ったそうです。

19894118_10213451908591072_10444126 相方はここのコタンでつくっている、鮭の燻製をいたく気に入って大人買いしていました。サッチェプと呼ばれるもので、白老沖で獲れた鮭をひと冬のあいだ軒先に吊るして干して、そのあとチセの中のいろりの煙に毎日あてて2か月のあいだじっくり燻製にしたもの。サッチェプのアイヌの人たちにとっての意味合いや詳しい作り方はこのサイトに詳しいです。一番大切な保存食なんだそうです。

ポロト湖の奥には、ポロトの森キャンプ場というのがあるらしかく、看板を見かけました。北海道でキャンプ、してみたいな、とまたちょっと思った。

このポロトコタンのすぐ隣に大規模な造成工事が行われていたので、どうなるんだろう、と心配になったけれど、あとで駅で見かけたポスターで、わけがわかりました。「2020年、白老ポロト湖畔に. 国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園、誕生」とのことでした。「アイヌの尊厳を尊重し、アイヌの歴史・文化等を復興するナショナルセンターとして、. 北海道白老町に『民族共生象徴空間が整備されます」とありました。

* * *

Img_1425 夕方には登別駅へ行って、温泉宿へ。宿についたら目の前の木立の合間に鹿が1頭、立っていました。きれいだった。夕食後に、部屋から海をボーっと見ていたら、部屋の真下のミニゴルフコースに、ハクセキレイがずうっと遊んでいて、そのうちそこに鹿も来て、しばらくなにか食んでいました。

ここの虎杖浜のお宿は海を見下ろす露天風呂のお湯がすばらしくて、夕食前と、真夜中と、朝と、3度も入ってしまいました。昔ながらの温泉宿というふうでしたが、ロビーや廊下にはとてもすてきなアートが掛かっていて、調度品や家具も無垢の木製で、気持ちよかったです。

Img_1476 アート作品はどれもキャンバスでなく、板に描いてあった。国松希根太 さんという方の作品。後でググったら、宿と同じ白老町にある飛生アートコミュニティーを拠点に制作活動をされている方でした。どれもとても惹かれた。

* * *

Img_1448Img_1456 Img_1452_2翌朝、宿のまわりを散歩してみようと降りていくと、ミニゴルフをしていたおじさんたちが「遊歩道はあっちだよ」と教えてくれて、言われたとおりの方向へいくと草木のあいだにほそく踏みしだかれた道があったので、歩いて行ってみました。海をもっと近くで見下ろせるところまで歩いていけて。アカナラの木(かな?)や野草、きれいでした。

戻ってきた後、ここのミニゴルフの係の人らしきおじさんに、「あそこの道を行っちゃったの?今は閉鎖されているんだよ」と言われました。「え!ゴルフのおじさんたちに言われたとおりに行ったんですが」と言ったら、「今は危ないから閉鎖しているの、草も刈ってなかったでしょう」と。でも無事に帰ってこれてよかったと思いつついたら、おじさんは別に怒っていたわけでもなくて、いろいろとお話をしてくれました。

おじさんは登別の方ではなく、伊達の出身とのことでしたが、ここらへんは昔は馬で舟を引いて陸に上げていたこと、宿の敷地になっているこのあたりは馬が草を食べる場所だったこと、など教えてくださって。特にそういう質問をしたわけでないのに、教えてくださって興味深かったのと。。。

あとふいに、この虎杖浜は夏はキャンプ場になる、と話し出されました。夏には浜で水道も通るからテントを張ってキャンプできる、と。まるでキャンプ好きの私の脳内を読んでいるかのよう???でした。夏以外の季節も、そこの浜の手前に家が一軒見るでしょう、あそこの(ま)さんはやさしいから、水がない時期は(ま)さんからもらえる、とおっしゃっていました。後でネットで虎杖浜のキャンプ場について検索してみたけど、見当たらなかった。ローカル限定のキャンプじょうなんだろか?と思いつつ、いつかここでテント泊してみたいなあと夢想しています。

Img_1478 この日はこの後、バスで登別から空港へ。バスの出発時間までしばらくあったので、バス停の横の券売所のおばさんに荷物を預かってもらって、となりのスーパーでアスパラやしいたけなどをおみやげに買いこみました。この券売所にはきれいなディスプレーがあって、その真ん中には昔の大鋸(おが)に、森で過ごす子どもたちの絵を描いたものが、飾ってありました。

* * *

疲れ果てた精神状態で、毎日泣きすぎてまぶたがふくれたまんまの顔で飛んで行った北海道だったけど、お会いした動物や草木や人や、温泉のお湯や海の幸や、アートのおかげさまで、だいぶん持ち直せた感じでした。ほんとうに、みなさま、ありがとうございました。

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2017.07.09

どこかに参ってみた

Img_0737 6月中旬以降の日々は、だいぶんきつくて、それで追いつめられたようになって思い切った行動に出て、とっさに北海道に行き、鹿児島へも行きました。今、少し落ち着いてきたので、北海道と鹿児島のことを書こうとしたんだけれど。。。その前に行った旅のことも思い出されてきたので、順番に、書いてみることにしました。

だいぶん前のことなんだけれど。。。。たまっていたJALのマイレージが3月一杯で期限切れになるとのことだったので、「どこかにマイル」という6000マイルで国内航空券と引き換えられるプログラムに3月31日に申し込みました。そしたら那覇へのフライトが当たって。。。4月に急きょ沖縄へ小旅行へ行きました。

沖縄の旅は、相方が小島さちほさんのを教えてくれて、どんとさんと彼女が移住した南城市の玉城エリアに惹かれたので、そこへ行ってみることにしました。

那覇に夕方について、その日はエアービーエヌビーで見つけたお部屋に荷物を置いて、20分ほど歩いてcelloというカフェへ。相方の友人の(た)さんと落ち合って、お茶/おゆうはんをご一緒しました。celloは、こじんまりした、居心地のとてもいいカフェで、(た)さんのおともだちがやっています。(た)さんは関東から沖縄に7年前に越してこられたのだけど、移住のきっかけとなったのがこのカフェのオーナーだったそうで。店内には画家であるお父さまの作品がそここに飾ってあったのだけど、そのどれもが、こころに、うれしかった。

どうもここにいると気持ちがいい、ということを(た)さんに伝えると、「ここは神社みたいなところだって言われてるんですよ(笑)」と。なるほど、とうなづけました。

翌朝は、(た)さんに教わった金壺食堂に朝食を食べに行きました。台湾素食(ベジタリアン)のビュッフェ形式の朝食で、とてもおいしかった。お店を男女のきょうだいが営んでいらして、このおふたりはこちらのお生まれ。ご両親が台湾の方だそうでした。どれをたべても精進だというのは、ほんとにいい。。!

このあと、今夜の宿を予約した、那覇の南にある奥武島へ、バスで向かうことにしました。が、何時にどこからバスが出るのかわからず。。。とりあえず金壺食堂を出て大通りに出て見たら、バス停があったので、そこで腰掛けて、ネットで調べていたら、目の前にどうも目的地行きらしいバスが来ました。運転手さんに確認したら大丈夫とのこと。乗り込み、終点まで行きました。

終点の百名バスターミナルで降りるときに、運転手さんにみーばるビーチはどう行けばいいかを教えていただいて、歩いてビーチへ。道は坂をどんどん降りていくので、キャリーの手を離してかばんを転がしたりして遊びました。

Img_0674_2 ここのビーチは人工ビーチではない、自然の浜です。白砂が裸足に心地いい。。到着した時間は波がだいぶん引いていて。ぼんやりと見てたら、遠浅になった海の中にジープがどんどん入っていき、水の中を走って船のところまで行くのが見えました。びっくりした。

Img_0684 その後、グラスボートに乗ってみよう、ということになって、乗り場で待ってたら、さっきのジープに乗せられて、ずんずん海の中に入っていくことになって、わー、と思いました。

遠浅のときは船が船着き場までこれないために、こうしてジープで送迎するらしかった。腿くらいまで濡れてもよければ、水の中を歩いて船に行くこともできるけど、全員をてっとりばやく船にのせられるのがジープ送迎なのでした。

Img_0686 グラスボートはさらに沖のほうへとゆっくり進みながら、ポイントポイントで少し止まって海の中のお魚を見せてくれました。ごく浅いところから水深30メートル地点まで案内してもらいました。三ツ星クロスズメダイ、かわいかった。。

そのあと、浜でお昼を食べようと心づもりしていた浜辺のカレー屋さんが定休日で、ショックでしたが、まわりにはほかに何もなさそうだったので、宿のある奥武島に向かうしかないかな、とカレー屋さんの向かいの船着き場にいたおじさんに、奥武島まで歩いていけるかどうかを尋ねると「うん、行けるよ」とのこと。ついでにここらへんでお昼を食べられるところはあるでしょうか、と聞いたら、奥武島へ行く道の途中の「浜辺の茶屋」というのがあるよ、と教えてくださいました。

Img_0699 で、少し歩いたら、浜辺の茶屋があって。。。そこはなんと、今回の宿をどこにしようかネットサーフィンしてたとき、たまたま出てきた写真――窓を開け放ったすぐ向こうに青い海が広がっている写真――の、その場所でした。てっきりあの写真はどこかの宿なんだと思っていたし、その宿が見つからなくて残念だけどでもきっと高いよね、とも思ってたのだけど、まさにここがそこだったのでした。

浜辺の茶屋は小島さちほさんの本の中でも名前は聞いていて、奥武島の近くだから行きたいね、と思ってたけど、あの写真の場所だとは思っていなかったのでした。

窓沿いのカウンター席に通されて、真下の海を眺めながらお昼をいただきました。気持ちよさ半端ありません。しかし今は干潮で海は遠のいてるけど、こんな浜辺に建っていて、台風とか津波とか大丈夫なんだろか、と思いました。見ると、窓のひさしになっている木の板は、そのまま下に閉じると雨戸になるようなしくみになっていました。

あとから、浜辺の茶屋のこれまでをドキュメントした本を、関東に帰ってから読んだけど、なかなかすごかった。この地に生まれ育った稲福信吉さんが、なにもない原野だったこのあたりに、もともとの自然のありようが活きるような土地造成をして、「ゆっくり村」をつくる構想を持ったそうで、このカフェはその最初の一歩だったそうです。

Img_0730 こんな海のきわきわに建物を建てて、大丈夫なのかどうかは、これまで建てた人がいないから誰にもわからなかったそうで、わからないならやってみるしかない、と踏み切ったんだそう。手づくりで小屋を建てて、カフェをオープンして、何年ものあいだ、台風が来ても不思議とこの場所は無事だったそうです。ただ1度、台風で全壊したことがあって、そのときはまた建てなおしたそうで、これからも、「壊れたら、建てなおせばいい」というスタンスらしかった。「自然とともに暮らすとは、そういうこと」と、そう深く了解していらっしゃるところ、すごいなーと思いました。

このカフェ、今では沖縄のロケーションカフェブームの元祖として、連日にぎわっていますが、オープン当初はお客さんがほとんど来なくて、オーナー夫妻はだいぶん心配されたようでした。どうやったらお客さんが来てくれるか、四苦八苦するなかで、あるとき久高島の、ものが見える方から「あなたももっと遊びなさい」とアドバイスを受けて、お店の前の浜でカヤックに乗るようになったそうで、そうしたら、海からカヤックでお客さんの一団がやってきて、ここを気に入ってくれたそうです。そうしてだんだんとお客さんが増えていったそう。

このカフェから始まって、今は食事処や宿泊処、庭園など、”ゆっくり村構想”は現実化が進んでいるようです。でも新しく何かをつくるにあたっては、この地域の自然を壊さず、活かすことが、いの一番に大切にされていて。そのおかげさまでの、この居心地のよさなんだなあ、とありがたく思いました。これからもそういう場所として、育っていきますように。。

Img_0713 浜辺の茶屋から奥武島までは、浜沿いの遊歩道がずーっとあって、海を見ながらのんびり歩いていくことができました。橋を渡って奥武島へ行くと、すぐに「民宿おうじま」と書いたたてもののてっぺんが見えて、すぐたどりつけました。

Img_0749 瀬戸物のシーサーが座る門を通って、引き戸を開いて、こんにちはーと入ると、おばあちゃんが机に向かって書きものをしていました。写経かな? で、わたしたちを見てちょっとおどろいていらしたので、「少し前に予約したのですけど」と言ったら思い出したらしく、快く受け入れてくださいました。

海の見える小さなお部屋を案内していただいて、一息ついて。奥武島で有名なてんぷらを食べに行こうと、階下へ降りると、おばあちゃんがまた写経をしていました。が、写経だと思ったそれは、実は原稿でした。なんでも明日から、大阪の中学校の生徒さんたちを奥武島でのステイに受け入れるらしく、その開会式でのあいさつが、今回は自分に回ってきちゃったから原稿を書いている、とのことでした。

えんぴつで、たてがきで丁寧に書いていらした。で、「ちょっと読んでみるから、聞いてもらってもいい?変なとこがあったら教えて」と言われて、聞かせてもらいました。最初のほうにうちなーぐちでの言い回しが織りこまれていて、すてきなごあいさつでした。

Img_0751 「てんぷらを食べる予定ある?」と聞かれたので、「予定ある!」と答えると、「じゃあ、長命草をあげようね」と言って、建物のふちに生えている長命草(写真の)と、ういきょう(フェンネル)と、くわの葉をいっぱいくださいました。「これを巻いて天ぷらを食べると胃がもたれないのよ」と。

橋をわたったすぐのところのてんぷら屋さんは、今日は臨時休業だったので、別のてんぷらのお店に行こうと、あてもなく歩きだしました。すぐそこらへんにあるだろうと思ってたのだけど、なくて、島の逆側の浜辺に着いてしまい、そこから左回りに浜沿いを歩きました。何もない。。。

すると「竜宮神」という書いた立て札があったので、「行ってみようか?」と降りて行ってみました。海から、ハート形の岩が突き出ていました。それを眺めるのにほどよい距離にある手前の岩場に降りてみると、祈りの場のような跡がありました。お金が置かれていて、火を焚いた跡も。我々もそこでおじきをしました。

そこからさらに島の入口方向へ歩いていって、途中で相方がやおら右手の森へ足を踏み入れました。後でわかったのだけど、そこらへんも東之獄(アガリヌウタキ)という聖地があったらしかった。

Img_0775 島の入口、北側に来ると、てんぷらのお店が開いていたので、「さかな」「いか」「海ぶどう」のてんぷらを注文。揚がるまでのあいだ、向かいの船着き場でハーリー船を眺めました。立派な木舟。揚げたてのてんぷらに長命草の葉っぱを巻いて、港の端っこに座って食べました。おいしかった!

この日は橋を渡った本土側の海辺にある、もずくそば屋さんでおゆうはん。宿のおばあちゃんの義理の娘さんのご実家がやってるお店だそうで、「もずくそばのお店は沖縄全体でも3軒くらしかないのよ」と教えてくれたのもあって、ありがたくいただきました。

Img_0718もずくを練り込んだ麺の上に、生もずくと酢もずくをトッピングしていただきます。わたしの祖母は酢もずくが好物だったけど、わたしはそれほど好きだと思ったことがなかったので、あまり期待せずに食べたのだけど、ここのもずくはとってもおいしかった。。!後で宿のおばあちゃんに、この酢もずくがここらへんのみなさんのスタンダードなもずくの食べ方だと聞きました。ただの酢醤油ではなしに、だし汁とみりんと醤油に少しだけ酢を入れるんだそう(酢も強いのと弱いのと2種類あって、それを混ぜて使うんだそうです)。

Img_0732 夕食後、おなかいっぱいだったけど、また散歩がてら浜辺の茶屋へ。夕日がほんのり空に映える頃に到着。昼間は混んでたけど、夕方からは空いていて、そして潮がえらく満ちていて、まるで別の浜のようでした。

イソヒヨドリが、陽が暮れてもまだ眼下の浜のあたりにいたので、小鳥が夜に出歩いてて大丈夫なんだろか、と心配になりましたが、後で調べたら、イソヒヨドリはけっこう夜更かしすることのある小鳥なんだとわかって、おもしろかった。。たいへんうたが上手で見事でした。

浜辺の茶屋でまったりして、真っ暗な中を宿までナイトハイクしました。風が気持ちよくて、星も少し見えた。宿につくと、相方は沖縄のもずくについてひとしきりネット検索をして、沖縄のもずく生産量はぶっちぎりで全国トップだと教えてくれました。知らなかった。。もずくどころだったとは。。どおりでおいしいわけです。

翌朝は、母のお葬式の夢をみて目覚めました。昨日、奥武島でお葬式があったせいかな。。散歩に出ようと階下に降りたら、宿のおばあちゃんがバナナ牛乳をくれました。冷凍して半解凍した島バナナをマグカップに入れて、スプンでつぶしてから牛乳を混ぜたらできあがり。とってもおいしかった。しばしおばあちゃんとおしゃべり。昔の頃、おばあちゃんが20になるくらいまでの暮らしのお話を聞かせてくださいました。

Img_0767 Img_0772 そのあと散歩に出て、いまいゆ市場へ行って、その場でつくってくれる海鮮丼と、さかなのフライサンドを買って(おばあちゃんからもらった葉っぱを挟んで)、ブランチに。港の舟倉のベンチをお借りして食べました。ねこたちがやってきた。

Img_0786嵐の予報だったので覚悟してたのが、晴れてきたので、観音様のお参りに行きました。鳥居には月が刻んであった。この島のみなさん、この海域の生き物や自然のみなさんのすこやかさと幸せをお祈りしていますと、ごあいさつ。

Img_0788 Img_0787Img_0789 そのあとお堂の左奥へ向かう階段が見えたので行ってみたら、さっと気の感じが変わって、ここが聖地だとわかりました。大木が岩を抱くように立っているところ、岩と岩の間にすき間ができていて、シダや木の根がびっしりと生えているところ。。。見ると中之獄(ナカヌウタキ)と書いた看板がありました。木々が神々しいし、木漏れ日もめちゃ美しい。でも蚊もたくさんいて、2人とも4カ所くらいずつ刺されました。

鳥居の外に出ると、そこに島じゅうの聖地(ウタキ)の地図がありました。昨日行った竜宮神もそうでした。

Img_0792 蚊にさされて暑くもなってきたので、橋のたもとでひと泳ぎしよう、と思い立って、宿で水着に着替えさせてもらって、タオルだけもって裸足のまま浜へ。すきとおるエメラルドグリンの水に首までつかりました。海水につかると蚊にさされたところのかゆみがすぐに引きました。砂浜には大小のカニがたくさんいた。背中が薄紫色のかわいいカニも。

体を拭いて、あったまったアスファルトの堤防に腰掛けておしりをかわかして、宿へ戻って着替え。シャワーせずに着替えたら、「ほんとにシャワーしないの?かゆくならない?」とおばあちゃん。けどお肌はしっとりしてたし、その夜にはサラサラでした。

Img_0712 ちょっと水に入っただけだったけど、2人ともすごくさっぱりして、また荷物転がして浜辺の茶屋へ行きました。心配だった嵐は来なかったばかりかどんどん晴れてきて。お昼過ぎに茶屋について、お昼ごはんをいただきました。看板ねこちゃんは今日もぐっすりお昼寝。ゆっくり日記など書きました。後のほうで、昨夜遅番だったにいにが出勤してきて、「今日もありがとうございます」と声かけてくださいました。通い過ぎだので覚えられてしまいました。。。

この日はこのまま那覇へ出て空港へ、という日だったので、浜辺の茶屋から歩いて新原(みーばる)バス停へ。昨夜、茶屋のにいにに聞いて、そこまで歩けると教わっていたので、安心して行きました。バスで開南へ。

アーケードのエリアを歩いて、どこかおいしいコーヒー飲めるところは、と地図を見てみていると、自転車で通りすがったおじさんが「どっち行くの?」と声かけてくださって。「実はおいしいコーヒーが飲みたいだけなんですが、いいお店知っていますか?」と聞いたら、「ああ、知ってるよ、じゃ、一緒に行きましょう、こっちです」とどんどん歩きだしました。

歩きながらお話をきくと、生まれは奄美で今はこちらにお住まいだとかで、学生の頃は東京にいたそう。旅行が好きで、このあいだも「8000円でタイに行ける切符見つけて1カ月行ってきた」と楽しそうに話してくださいました。なんかさわやかでおだやかなおじさんでした。

案内してくださったのは、なんと台湾茶専門店。お店の前まで来て、「じゃ」とさっそうと自転車を走らせて去って行かれました。路地のうーんと奥まったところ。おやじさんにコーヒーを注文して「ここはどこでしょうか?」と地図を広げて印をつけてもらしました。相方が行きたがっていた牧志公設市場のうんと近くでした。

Img_0812 Img_0845 公設市場には、閉まる5時ぎりぎり手間に入ってみれました。カラフルなお魚がお刺身になるんだ!とびっくり。そのあと市場の外のアーケードをぶらついて、おみやげをちょこちょこ買いました。月桃の葉っぱに包んだムーチーは、月桃の殺菌作用で常温で4日持つんだそうで、南国なのにすごいと思った。

牧志駅からゆいレールで空港へ。空港でおゆはんを食べて飛行機に乗り込みました。2泊3日のあっという間の旅だったけれど、心配性・焦り症のわたしが少しだけ「ま、いっか」と意識の手綱を緩めてゆるく構えていられた瞬間があって、そのときにスルスルと物事が運んでいったのが印象に残りました。

Img_0729 そして玉城エリアはまたぜひ訪ねたい、、と思いました。行きそびれたところがいくつかあるし、わたしの大好きなミュージシャンの方も、ここにお住まいだったことがわかったしで。。。どんとさんもここでだいぶん幸せだったようで、浜辺の茶屋の前の海の上にステージをつくって、コンサートをしたりしていたと聞きました。お客さんは潮がみちてくるとひざまで水に浸かりつつ聴いていたそうで、それもまたいいなあ、と。。。浜辺の茶屋のオーナー夫妻の、自然とともに暮らすことの厳しさと喜びを全開で受け取っているところは、やっぱりすごいと思うのです(くわしくは、この本に。そして著者の方のブログも興味深いです)。そのエッセンスの端っこでもいいから、自分も欲しい。。

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2017.05.11

は~

昨夜あんなことやこんなことを思ったり書いたりして、一晩眠って、今朝起きぬけに思ったのは、ああ、ゴールデンウィークの合宿の日々を、オーガナイズ面で支えてくださってたスタッフのみなさまは、ほんとにすごい働きをしていたんだなあ、おかげさまだったなあ、ありがとうだったなあ、ということでした。

わたしは大変な思いをしている自分の体験に埋没していて、ほかのみなさんのことを振り返る余地もなかったのだなあ。ほんとうに深く埋没していたみたいです。

でも、出てこれたもよう。ようやっと。

まだ心の水面にはすぐ波風が立つ状態ではあるけれども、嵐はやり過ごしたのだと思う。

情けないけど、これが今の自分のありよう、力量、体質、気質、なのだなあ。。。

ありがたいことに、ゴールデンウィーク明けはまだお休みをいただけていて(翻訳仕事に切れ目ができたのは、もうほんとうにほんとうに久しぶりで。。!)、すごくゆっくり、休んでいます。家のことでやらなくちゃいけないことはいろいろあるけど、とりあえず、自分のリハビリを優先しています。

Img_0924 読みかけだった本を読了。『ユマニチュードという革命』。ユマニチュードは認知症の高齢者の方々のケアのためにフランスで考案されたメソッド。当事者の方々にとって、ほんとうに希望の光のようなメソッドだと思いました。

認知症の方は、認知の機能は欠けても、感情の機能は健やかに働いている、ということが、よくわかりました。怒ったりわめいたりすることがあるのは、感情の機能も損なわれているから、ではなくて、怒りたくなるまっとうな理由があるから。感情でわかることなら、伝えられるし、わかりあえる。そうやってわかりあえたときの、ご本人の喜びは、どんなに大きいだろう。。

コミュニケーションをするうえでの表現の仕方が、世間一般の人とは異なってしまうがために、人間以下のように見なされてしまうというのは、ほんとうに悲しいことです。

動物や虫に対してもそうだけれど。自分と同じ表現の仕方をしない相手の、存在のインテグリティと尊厳を、簡単に忘れないようにしたいです。忘れてしまいやすい状況であっても。。。違いはあっても橋をかけて、コミュニケートしたいし、少なくともお互いに平等な存在として、ただいっしょにいられれば、と願う。

自分が大事にしたいのは、そういうようなことなんだ、と改めて。上から目線でお世話したりかわいがったり指導したり、下から目線で従ったりあこがれたり教わったり、ということをしないですむ関係性の中に、身を置きたい気持ち。

そのためにはただ相手の存在の真実を見ることなんだろうけれど、それはなかなかにチャレンジだなあああ。。。

ユマニチュードのジネストさんが言っていた、奉仕の概念にはそもそもキリスト教的な影響があること、そこのところは、もうすこし自分の中でもよく見ていったほうがいいところだと思っているところ。相手のためになることをしているはず、という意識について。。

* * *

Img_0925 もう1冊、精神が大変なときに一番に手が伸びた本は、ホクレア号についての本、『星の航海術をもとめて』。再読。ページを開くだけで落ち着く。ナイノアさんの声を思い出すと、霞がかかった自分の思考がくっきりしてくる感覚が来ます。

自分が生きているなかで、関わっていきたいことが、どのあたりにあるのか、再検討してみているここ数日なんだけれど、ホクレア号が意味することは、たぶん、自分にとってすごくセントラルなのだろうな。

そこにどう取り組んでいったらいいのか、よくわからないけど、とりあえず、心のレーダーが反応していることは気に留めておく。

* * *

Img_0881 ゴールデンウィークの合宿でのお仕事には、会場から歩いて30分くらいのキャンプ場から通いました。それもチャレンジを増やした原因にもなってたけど(雨が降って地面がゆるんでペグがゆるんでテントが倒壊したらどうしよう、とか、会場に遅刻せずに行けるかな、とか)、でもチャレンジを上回る恩恵がやっぱりあった。

Img_0891 4泊したけれど、毎朝ろうろうとうたうオオルリの声で早くに目ざめました。今年は毎朝すっきり晴れて、ほんとにありがたかったです。朝日が木々のあいだから差し込むなかで、朝ごはん。1日目は慌ただしく食べて焦りながら出かけたけど、翌朝からは段取りも慣れて、早起きもできて、すこしゆっくりできました。持参したハワイコナのコーヒーをお外で。Img_0880

うちのテントのすぐ近くで毎朝うたってくれてたオオルリは、うたがほんとうに上手で、いい声で。しかもクリエイティブ。基本のフレーズがあって、そこにとてもさまざまに毎回違うバリエーションをつけてうたいついでいくスタイルです。ずうっと聴かせてもらえて、たいへんありがたかったです。

Img_0879 夜は早めにキャンプ場に戻って、キャンプ場となりのお風呂に入って早めに就寝する予定でいたけど、合宿会場を出るのが遅くなる日もあって、お風呂に入れなかったり、まっくらな夜道を歩いてもどってくることもありました。相方と別々に、ひとりで夜道を帰ってきた日は、膨らみつつある月明かりのもと、明かりなしでキャンプ場までずっと歩きました。いわゆるナイトハイク。

暗闇にまぎれて歩く自由を体感しました。暗さに慣れてくると、いろいろよく見えるし。闇にまぎれられるのは、安心感がありました。たまに車が通ってヘッドライトが近づくと身を固くした。つくづく、自分にとって怖いのは人間なんだなあ、と思いました。

とはいっても、キャンプ場でキャンプをしている他の家族連れなどは、怖くなかったです(あたりまえか)。テントの入口の扉を開け放って、木々を見上げながら寝ころんで、そのうち眠ったりしました。

キャンプ場のおじさんは、年に1度しか行かないけど、ほぼ毎年この時期に行っているせいか、わたしの顔と名前を覚えてくださっていて。。いつもちょうどいいタイミングでぽっと手を貸してくださるのだけど、今回も。撤収を始めて、事務所へ返しにいかなきゃいけないレンタル毛布をたたんでいたら、ふらっと「生きてる?」と言ってサイトに現れて、しばし立ち話。。そして「あ。じゃ、それ、もらっていくわ、ついでだから」と毛布3枚をかついで行ってくださいました。

あのさりげなさ、毎回不思議。どういうふうにしたらああなるのかな、と。

撤収をみんなおえて、事務所にあいさつに行って、「となりの温泉に入ってから帰りたいので、それまで荷物をサイト脇においておいていいですか、とられて困るものはないので」と言うと「いいですよ~、じゃ、おれがもらっとこう」。最後にお礼を言ってさよならを言うと、別れ際に一言、「じゃ、お風呂でおぼれないでね~」。まじめなのかふまじめなのかわからない抜け加減に、なんか救われました。

Image_xlarge3 Img_0894Img_0904 乙女の森の木々にも草花にも小川にも小鳥にもおじさんにも、ほんとうにお世話になっていて、ありがとうの気持ちです。Img_0898

今年は自分には大きめなチャレンジをして、神経がくたびれはててしまったけど、焚火のパチパチいう音や煙のにおいも心の鎮静剤になりました。Img_0912

あのキャンプ場が変わらずありつづけてくれていて、ほんとにうれしい。

あのキャンプ場も、やっぱり、皆が過ごしやすいように整備して、草を刈ったり枝を払ったり薪をつくったり(手で割っていました)、トイレや炊事場をお掃除してくださったりしている方々のおかげさまであんなに快適に過ごせるんだなあ。。。ありがとうございます。

さて、今度は、もうちょっとがっつり遊ぶキャンプに行きたいなあ。。



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2017.04.11

軽い手荷物の旅

20170410_16_45_23_1ここらへんでは桜が満開なこの頃。でも今日はまた2月くらいの寒さがぶり返し。。雨の中、風もあって、レインポンチョを着て長靴をはいて傘をさして歩いたけど、なかなか大変でした。

でも見上げると、満開の桜は雨にも風にも負けてなかった。すごいなーと思いました。足元の道草は、むしろ雨を受けて活き活きとしている感じで、どこかうれしそうでした。

わたしも最初はレインポンチョと長靴があれば雨も楽しいねえ♫と歩きだしたのだけど、風にあおられて途中からはひょえーとなって。。。パン屋さんに寄ってきてほしい、と言われていたのに、雨風に負けました。かわりに帰宅してから久しぶりにパン焼き。。。相方はめちゃくちゃにロシアの黒パンが好きなので、北欧の黒パンです。

20170411_20_00_01_1 めちゃくちゃ簡単な、黒パンミックスに水を入れて混ぜてやくだけ、というもの。イケアさんのです。焼き時間が1時間(!)というのにおののいて、ずっと実行できずにいたけど、今日のような寒い日は、オーブンを使うと暖房がわりに部屋もあたたまるし、よい!と思って決行しました。

パンだけ焼いておくのはもったいないので、オーブン料理も。。と思って、あるものでできるスウェーデン料理「ヤンソンさんの誘惑」(アンチョビ入りポテトグラタン)もつくりました。

そんなわけで、今夜はにわかにスウェーデン祭り。

黒パンミックスは、焼き時間が長いのがアレだけど、なかなかよいです :)

* * *

さて、先月の旅の話について。。もうすこし。今回自分としてもたいぶん新たな試みをした旅だったのでした。それは、「軽い手荷物の旅」にすること。

Img_0499_2回は7泊8日の旅だったけれど、19リットルの小さなソフトキャリーで行きました。相方は背中に背負えるタイプの40リットルのダッフルバッグ。

「軽い手荷物の旅」をすることになったきっかけは、どこまで行っても一律で2ドル50セントという、オアフ島のザ・バスという公営バスに乗って、島の反対側のノースショアに行けたらいいな、と思ったことでした。タクシーだと80-90ドルの移動になるし、バスにのって高さのある大きい窓からのんびり風景を見つつ移動するのが大好きだしで。。。。ただ、このバス、ハワイ島のバスと違って、大きい荷物を持って乗れない決まりがありました。大きさはひざに載せられるものまで、となっていて、飛行機の機内持ち込みサイズが最大限度のようでした。

それでいろいろ悩んだけれど、ほんとうに必要なものに絞って荷造りしてみたら、19リットルのかばんで行けてしまいました。我ながらこんなに軽い手荷物の連泊旅は生涯でも初めてで、不安もあったけど、やってみたら、すーごく快適でした。Img_0476_2

荷物が少ないって、そのままフリーダムに直結するんですね!

0135_xlarge 相方も自分のダッフルを背負うのは問題なかったみたいだけど、キャリーケースの上に載せて運んであげたら喜ばれました(写真の図)。

uber(民間ライドシェア)のドライバーの方にも「あなたたち、荷物それだけ?」とびっくりされたり。。。

* * *

19リットルのソフトキャリーは、相方が以前買ってあまり使わずにいた無印良品のソフトキャリー(小)です。1泊2日程度の旅行用に、というものらしく、さすがにきついかなーと思ったけど、大丈夫でした。

キャスターにストッパーが付いていないのが残念ポイントだけど、鍵をつけられるようなファスナーになっているし、ソフトなのでいざとなったら結構パンパンに詰めることもできるし、なかなかよかったです。

Img_0497 これに、相方の荷物を上に固定するために、アウトドア用ゴムという4mm径の丈夫なゴムを二重にぐるっと巻きつけて使いました(上部のハンドルと並行するように巻いてある黒いゴム紐です)。

ハンドルバーを上げて、相方のダッフルをのせたら、この輪っか状のゴム紐をダッフルの前に渡してハンドルバーにかけるだけ(下側は車輪のところで紐がひっかかるようになります)。

ちょっとしたものを挟んでひっかけておくこともできるので、重宝しました。

相方のダッフルは、オスプレーのパッカブルダッフル、トランスポーター40で、これも軽くてコンパクトなのに容量は40リットルで、背負いやすいし、ぱかっと開いて中身も取り出しやすくて、グッドチョイスでした。

わたしは無印のソフトキャリーに、あとは、昔手づくりした布のショルダーバッグと、ショルダータイプのエコバッグ(布ショルダーの雨よけ用)を持っていきました。それで帰りのおみやげも、出国前・帰国後の防寒着も、不自由なく持ち運べました。

20170407_16_49_28 布のショルダーバッグは、10年以上前に、セールになっていたランチョンマット2枚とコースター2枚、それから使い古しの自分の革ベルトで自作したものです。

20170407_16_50_32_2 基本的にただの袋状のバッグだけど、背面にコースターをくっつけてポケット状にしたので、ちょっとしたものを入れるのに便利です。

布かばんは軽くて、必要ならたくさんものが入れられて、いいです :)

* * *

Img_0056 それと、荷物の軽量化の一環で、今回初導入したのが、ワラーチ(走れるサンダル)です。わたしはランニングなどはしないのだけど、つくりがシンプルで、ソールが薄くて地面を感じられそうで、軽そうで、解放感がありそうなワラーチが前から気になっていました。それにワラーチなら薄いソールに紐がついただけだから、ぺたんこになって持ち運びにもかさばらないし軽量です。

ただ今回は、ビブラムソールを買って一から自分でつくる時間的余裕がなかったので、メルカリで手づくりワラーチを販売されている方から、シンプルなゴム紐タイプのものを購入しました。

でも若いころから、アキレスけんを圧迫するタイプのサンダルや靴が身体に合わなかったので、ゴム紐タイプのワラーチも、少し家で試し履きをしてみたところ、やっぱりむずかしかったことが判明。。。

急きょ、切り売りの真田紐を3m取り寄せて、付け替えてみました。はなおを手持ちのやわらかい革でつくってみました。そしたらこれが、すごく具合がよくって、あまりの快適さに、街も、海も、谷も、旅のあいだずっとワラーチで過ごしたほどです(行きと帰りの飛行機は、軽量スリッポンを履きました)。

ビーサンを別途持っていくべきか迷ったけれど、海ではシュノーケルをしたくてマリンソックスを持参したので、結局ワラーチで浜まで行って、浜についたらマリンソックスに履き替えておしまいでした。

0067_xlarge 足首にくるっとまきつけると足の一部になる感覚なので、谷を歩いたときも快適。地面の感触が分かるのもグー。コンクリの街ではさすがに、この薄いソールだと腰に来るかな、と思ったけど、意外と大丈夫でした。ビブラムソール、やってくれます。。。

脱ぎ履きも、おもったほど面倒ではなかったし、見た目も悪くないし。。。(おしゃれさんな姪っ子にも、かわいいサンダル、と言ってもらえたり)、開放感が半端なく気持ちいいし、持ち運びもぜんぜんかさばらないし、なにせ軽いし。。。言うことなしです。ワラーチづくりの元祖、メキシコのタラウマラ族のみなさまに、感謝しています。

夏の旅はワラーチに限る、と確信しました。あ、でも今回雨に合わなかったから、というのもあるかな。雨のときはどうなるか、試してみないといけません。

* * *

最小限とはいっても、細々としたものは色々と持参しました。

Img_0496 写真が(行き帰りに着てた服を覗く)全携行品です。

上段左から:薄手の長袖パーカー(折りたたみ式)。ストレッチシルクの大判ショール(防寒用。はおりものがわりにも。布屋さんで切り売りしてもらったのを、そのまま切りっぱなしでもう何年も愛用しています)。海水浴用帽子(かぶったまま水に入れて頭の日焼けを防げます)。麻混の日よけ帽。

2段目左から:ふでばこ。ワラーチの予備の替え紐(使わず)。日記帳。ワラーチ。マリンソックス、水着にもなるショートパンツ。水中メガネ、水着上下、長袖ラッシュガード。水中用スマホ携帯ケース(これは水が入っちゃった!スマホ入れずお札だけ入れて使用)。速乾ハンドタオル。カットソー生地の水色のロングスカート(飛行機に乗る前にこれに着替えると楽でした、あとビーチでの着替えにも便利だったり)。黄色い仕分けケースの中はその他の着替え(タンクトップ、半袖ブラウス、長袖シャツ、ビーチ用ポンチョ、パジャマ、下着、靴下類)。

3段目左から:髪留め(櫛を兼ねた)。水筒。コラプシブルタッパー(外食時のテイクアウト用)。携帯用お箸とスプーンフォーク。マヤナッツパウダー。携帯用はちみつ。充電コードセット。ソーラー式にもなるモバイルバッテリ。イヤフォン。ターコイズのネックレス(お祝いの食事の席用)。洗濯洗剤と洗濯ネット。虫よけスプレー。日焼け止め。シャンプー。かみそり。保湿クリーム。スティック状の日焼け止め(向こうで購入しました、便利でした)。薬類(レメディ、フラワーエッセンス、レスキュークリーム)。絆創膏セット(湿式・乾式両方)とマダニ取り具(山歩きなどのときのために)。レスキューチューインガム。レインポンチョ。

3段目左から:ティッシュ、バンダナ、手ぬぐい。布のショルダーバッグと折りたたみ式のショルダーエコバッグ。貴重品用ポシェット(お財布、パスポート、ボールペン、リップクリーム入り)。洗面用具ポーチ(歯ブラシセット、手鏡、耳かき、口紅、クリームなど)。布製マスクとウェットティッシュのポーチ。首枕。折りたたみ式ダウンブランケット(飛行機の中での寒さ対策、使わず)。折りたたみ傘。

あとは珈琲のドリップパック(向こうで飲んだり、おみやげにあげたり)と、モンベルの圧縮袋(使わなかった)、マヤナッツクッキー(旅のあいだのおやつ)も持参していました。レンタルwifi機器も。夜行バスでもらった不織布のスリッパも2人分持参してました(使い倒して帰り道にさよならしました)。

キャンプしないと、こんなに軽い手荷物の旅が可能なんだなあと開眼した次第です。旅先が夏の気候だからできることだと思うけれど。。

行き帰りの飛行機も機内に全部持ち込めて楽でした(そのかわりナイフは持っていけなかった)。

この小さいかばん1つ分の荷物で不自由なく日々を過ごせてしまうんだな、というのは、ちょっと感慨深いです。

今までは「念のため」と、すごくたくさんのものをいつも持って旅をしていました。今回は「持っていくかどうか迷ったら置いていく」というのを基本方針にしました。いさぎよさが必要だったけど、それだけのごほうびがあったように感じています。

どうせ非日常のなかで過ごすのだから、身の周りの品がいつもどおりに整っていなくても、そこまで気にならない、といのはあるかも。。?

Img_0445 念願のザ・バスにも乗れたし。。旅は身軽にかぎる、です :)

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2017.04.07

Alohaの伝統とハワイアン航空

当事者でないと、やっぱりわからないこと、というのが圧倒的にあるということを思う今夜です。わかりあいたい、わかりあえるはず、という夢もあるからこそ、がっかりするけど、でもまずはこれを認めるところから、はじめないとなんだなあ、と。。。

いろんなことを思って、心にいろんな波が立つけど。

ぜんぶわかりあえるわけではなくても、わかりあおうとするっていう方向へ向かうことはできて、それがきっと尊いことなんだろうな、と思う。

* * *

ハワイのお話の続きです。ハワイアン航空の帰りのフライトは、時差ぼけ対策でなるべくずっと起きていることがポイントだったので、映画や特集番組を見まくったのだけど、すばらしいことにすべてハワイ関連のコンテンツだけを見ているうちに着陸時間がやってきました。

映画は40数本から選べたのだけど、選択画面で出てくる画像だけを見て「これだ」と選んだ2本は、どちらも全然知らない映画だったけど、オアフ島が舞台の映画でした。

1本目は『ハウマーナ』という、男性のフラダンサーについての映画。ワイキキで観光客向けのショーの歌手をしていた男性が、子どもの頃からやっていたフラにひょんなことから向き合い直すことになって、紆余曲折を経てクムフラ(フラの師範)になる方向へと人生が切り替わって行っていく、というお話。

ハワイを題材にしたハリウッド映画かしらん、と思って見始めたけど、ハワイアンの人にとってフラを踊るとはどういうことなのかを、丁寧に伝えようとしていて、これはハワイの人が撮った映画かも、と途中で思い始めました。(※「ハワイの人」とは、民族的にネイティブハワイアンの人というだけの意味ではない、もっと広い意味でのローカルの人のことです。ハワイの人は民族的にいえばハーフ、クォーターよりももっとたくさんの混血であることが普通みたいだし、ハワイに生まれたり育ったり長く暮らしたりした人はみんなこの地の人なんだ、と今回実感したのでした)。

映画の途中、主人公率いる男子学生フラグループが出場するフラの大会のシーンがあって、その大会の様子を描写しているところで、ソロで踊る男性が出てくるんだけど、後でエンドロールを見ていたら、その踊り手を演じていたのが監督さんでした。なのでひょっとしてこれは監督自身の自伝的なお話?と思って、後で調べたら、生まれも育ちもハワイのケオ・ウールフォード監督がこの作品の脚本も書いていました。

監督自身のプロフィールを見たら、かつてBrownskinsというハワイのボーイズバンドのメンバーで、後に俳優に転じて映画や舞台、テレビで国際的にも活躍されていました。そして同時にフラの修行も積んでいたんだそう。

そしてクムフラ(フラの師範という意味の言葉だけど、伝統的フラの正統な継承者・指導者を指す位らしい)に去年の夏なられていて、そのあと11月に脳卒中で他界されていたと知りました。

監督のこの作品は、フラが単なる踊りではなくて、生き方そのものだということがよくわかる映画でした。文字を持たなかったハワイアンにとっては、古くからの叡智や価値体系の伝達手段であって、神々との交信手段でもあったんだ。。。

そしてクムフラになるということの、責任の重さも、伝わってきました。そういえば、今回の旅の間、家族のみんなと観光船にのって川下りに参加したときがあったのだけど、そのとき船上でライブ音楽とフラのパフォーマンスがちょびっとだけありました。そのダンサーの方とミュージシャンと一緒に、下船して、滝まで歩いて、また船に乗って帰ってくる、というコースだったのだけど、滝から船に戻るときに、わたしだけ皆に遅れてしまって、たまたまダンサーの方と2人だけで少しの間歩くことになりました。

0005_xlarge とてもきれいな方なので、どきまぎしましたが、「ダンス、とてもすできでした。長く踊っていらっしゃるんですか?」と話しかけてみたら、「5歳のときからです、だから45年」と。なるほど見事なダンスなはずだーと思って、「もしかしてクムフラでいらっしゃいますか?」と聞いたら、「いや、ちがいますよ!クムフラは責任が重すぎて、片手間でできるものじゃあ、ありません」とおっしゃって、それが印象に残りました。

クムフラは無償でやる仕事だ、とどこかで読んだのも思い出しました。みんながみんなそうなのかどうかわからないけれど。生徒たちにしっかりと伝統を受け継いでもらうには、実際大変な責任を伴うみたいです。

イプという大きなひょうたんのたいこをたたいてチャントをうたう、クムフラ。

ノースショアのワイメア渓谷で出会った小学生の一団が木々の下で踊ったときも、そういえば、方隅にイプを手にして地面に座っていた女性がいました。彼女の掛け声のもと、子どもたちはまず大きな声でチャントを唱えながら4つの方角を向いて、それから踊りだしたのでした。Img_0311

遠くから見てたけど、みんなの真剣さがわかりました。

* * *

もう1本、飛行機の中で見た映画が『ザ・ライド』です。こちらはサーフ映画とおぼしき映画だったので、軽い気持ちで見始めたのだけど、ハワイの英雄であり伝説のサーファー(&水泳選手)、デューク・カハナモクへのトリビュート映画でした!

『ハウマーナ』同様、ハワイ出身の監督(ネイザン・クロサワさん)が手掛けた映画で、『ハウマーナ』同様、役者として活躍していたわけではなかったハワイ出身者を大勢キャスティングしていました。「リアルな人と、リアルな場所で」この映画をつくることを旨としたそうです。

この映画、サーフィンというスポーツの原点をたどれる映画です。そしてそもそもサーフィンが生活の一部だった、1911年当時のハワイの人たちのあり方。。。ハワイの伝統や価値観も、ひしひしと伝わってきます。デューク・カハナモク役の方の存在感のジェントルさは、ほんとうにすてきでした。「板に乗るんじゃない。波に乗るんだよ」というデュークの名言も。

* * *

ハワイざんまいのインフライト・プログラムで、映画の他にはハワイのトランスジェンダーの方についてのドキュメンタリー番組も見ました。

男女両方のスピリットを持つ人(トランスジェンダーの人)は、古代ハワイでは「Mahu」と呼ばれて、ケアテイカー、ヒーラー、古くからの伝統、聖なる知恵をフラやチャントを通じて伝える教師として尊敬されていたんだそう。

見たのは現代のトランス(FTM)の小学生ホオナニさんについての25分版番組で『A Place in the Middle』というタイトル。実は77分版のドキュメンタリー映画の部分を再構成したものらしいと後でわかりました。長編のほうは、『Kumu Hina』というタイトルで、ホオナニさんの学校で先生をしているトランス(MTF)の先生、Kumu Hina(ヒナ先生)が中心の内容。長編のほうも見たいな。。。

25分版のほうは、ほんとうのAlohaのスピリット(お互いを尊重しあって調和の中に生きること)を考えるための教材として、ハワイの学校で使われたりしているみたいです。Youtubeでも見られます(ちょっと不完全だけど、日本語の機械翻訳字幕を表示することも可能です)。

ヒナ先生も、ホオナニさんも、唄が、チャントが、うまい。。! ホオナニさんはウクレレもすごくうまい。。。

チャントがうたえることが、伝統を受け継ぐことの大きな部分を占めていることを、改めて思った次第です。

それと、ヒナ先生が11歳のホオナニさんに「わたしはあなたが男子の列に入りたいのがわかっているし、入ってもらってOKだけど、他の人は、あなたが女子の列に入るのが当然と思ったりするかもしれない。そんなとき……若いうちはね、ただ流れに任せるのよ。わたしくらいの年齢になったら、もう他の誰かのために動かなくてもよくなるからね」と諭していたのが印象的でした。

「さいしょはがまんをしなくちゃいけないけど、いずれは他の誰かのために動かなくてもよくなる」というのが、ハワイの伝統文化のたどった道と重なるようにも思えました。

* * *

インフライトプログラムには、私と相方の憧れのかたまりである、ハワイの双胴カヌー、ホクレア号についての番組もありました。ポリネシアの伝統航海術の継承者、ナイノア・トンプソンさんのお話も聴けて、すごくよかったです。

今ホクレア号は世界一周航海の真っ最中。番組では、ホクレア号が寄港した先での様子をドキュメントしていました。

ホクレア号のはじまりに関する映像は、オアフ島滞在中に行ったビショップ・ミュージアムのプラネタリウム番組「Wayfinder」でもじっくりと拝見することができて、至福でした。(短いバージョンだけどみられるが動画がありました↓)。

Wayfinders: Waves, Winds, and Stars (Fulldome Preview) from Daniel R. Rogers on Vimeo.

ビショップ・ミュージアムのプラネタリウムは、ナイノアさんが伝統航海術を学ぶ過程で、星空を勉強するために通い詰めた場所だったんだそうです。

長編のほうでは星の航海術の一端をバーチャル体験できるしかけもあって、星をつかって東と西を見極める方法も教わりました。ホクレア号の名前の由来は、ホク・レア(ハワイ語で喜びの星)と呼ばれる星、アークトゥルス。このアークトゥルスとスピカが水平線近くにあるときに、2つの星を結んだ中間点が真東になる、んだったと思う(記憶が正しければ)。西も同じように2つの星を結んだ中間点だったんだけど、どの星だったか思い出せない……。

それにしても星がわかれば方角も緯度もわかるってすごいな。地図が頭上に広がっているようなものだなんて。。。

星が見えないときでも、潮の流れや波、風、鳥などでナビゲートしていくのが伝統航海術なんだそうです。

この伝統航海術をハワイに蘇らせることになったきっかけとなった人は、実はミクロネシアのサタワル島のマウ・ピアルグさん。伝統航海術を受け継いでいた人でした。ハワイでホクレア号が完成したとき、ハワイには航海術がわかる人がいなくて、1976年にマウさんがホクレア号をハワイからタヒチまで、機械類を使用せずにナビゲートしてみせたのでした。これを見て感動したナイノアさんが、マウさんに弟子入りして、ハワイに伝統航海術が蘇ったのでした。

そういえば。。。ビショップミュージアムへ行くのにuberという民間タクシーを使ったのだけど、そのドライバーの方がミクロネシアのコスラエ島出身の方で、ホクレア号の話になったときに「うちの国の人が伝統航海術をホクレアの人に教えたんだよ」と誇らしげに言っていました。サタワル島とコスラエ島は同じミクロネシア連邦に属する島。「彼はもう亡くなったけど、彼の子孫に、伝統航海術は伝わっているよ」と言っていました。運転手さん自身も海軍に入るためにオアフ島に越してくるまでは、生活の一部としてカヌーに乗っていたそうです。

* * *

ホクレア号はハワイの伝統文化とアイデンティティを取り戻す動きのきっかけをつくったけれど、今はもっと先へと歩みを進めている、と今回実感しました。

オセアニアの海域からこんどは世界一周航海へと出発することになった2014年に、ナイノアさんがおっしゃった言葉。泣けた。

「この航海は……自分たちのためにするのではありません。3年間旅に出るのは、地理や国家、民族によって定義されるのではない文化を見つけるため。この地球上に出現する必要がある新しい文化、全人類に関わる文化です。その核心にあるもの、その文化を定義するものとは、価値観です。”富”の新しい定義、それは、貯めたり自分たちのものにしたりできるもののことではありません。”富”の新しい定義、それは、みんなに贈れるもののこと。私たちはそう信じているし、そのために航海するのです。」

ホクレア号は現在世界一周の終わりに近づいていて、ラパ・ヌイからタヒチに向かう途中。4月中旬にタヒチに到着予定です。そこからハワイへと帰路につき、2017年6月にハワイに帰って来ることになっています。現在位置などのリアルタイム情報はPolynesian Voyaging Societyのサイトから見られます。

サイトを見てわかったんだけど、Mālama Honuaと名づけらたこの世界一周航海の公式スポンサーがハワイアン航空でした。ハワイアン航空はベジメニューがないという残念ポイントもあったけど、それを上回るすてきさがあるな!

Mālama Honuaとは、シンプルに訳すと「この地球という島のお世話をすること」という意味なんだけれど、ハワイ語の意味合いとしては、「この世界を構成しているあらゆるもの、大地、海、生き物、文化、コミュニティを大切にして守ること」なんだそうです。

Aloha。。

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2017.04.05

Kokuaのスピリット

記憶力がガタ落ちしてから、わたしのメモリーデバイスになりつつあるこのブログです。。。

いろいろ書きとめておきたいことがあった今回の旅だったのでした。記憶があるあいだに、順繰りに、少しずつ書いておこうと思っているところ。。。

* * *

Img_0236 ノースショアのハレイワの、(きゃ)さんのおうちで私たちが泊まらせてもらった部屋には、小さな机があって、その上に、Tシャツの胸のロゴ部分が見えるように折りたたんで小さな額縁に入れたものが置いてありました。額縁もTシャツもくたびれていて、見たところ年代物みたいだった。

無地のTシャツの胸のところに「KOKUA」とい文字がただ書かれているだけのシンプルなTシャツです。

あまりにさりげなくそこに置いてあって、相方はその存在に気づかなかったほど。

わたしも額の中でTシャツの右端がへにょっとずれたまま、ホコリもちょっとかぶってそこにあった、そのくたびれ加減に、そこまで深くは気を留めずにいました。

帰りの飛行機で、時差ぼけ対策で一切寝ずに過ごそうと、インフライトの映画や番組を見まくっていたのだけど(ハワイアン航空はハワイ関係の映画や番組が充実していて、最初から終わりまでハワイ関連のものだけ見ていられて、すばらしかった!)、ハワイの伝統食を掘り下げるのがテーマの番組で、ホストを務めていたハワイ出身の有名シェフ、エド・ケニーさんが、あの額縁に入ってたTシャツと同じのを着ておられたシーンがあって、あ、と思いました。

日本に帰国してから、そういえばあのTシャツはなんだったんだろう?と思ってしらべたら、ジャック・ジョンソンさんがKokua Hawai'i FoundationというNPOのためのチャリティイベントとして音楽フェスをやっていたときの記念Tシャツだったみたいでした。

Kokua フェスの音源を集めたアルバムも出されていて、そのアルバムの表紙がTシャツのロゴと同じでした。Kokuaとはハワイ語で「助け合い」とか「エイド」とか「へルプ」を意味する言葉。

ノースショアといえばジャック・ジョンソン。。だから(きゃ)さんのおうちにあのTシャツが飾ってあったのも不思議はなかったわけでした。

そんなわけでKokua Hawai'i Foundationのサイトにたどりついたのだけど、そしたらサイトのカバーページに見覚えのあるロゴがありました。「Plastic Free Hawaii(プラスチックのないハワイ)」というロゴ。

(きゃ)さんちの近所の自然食品店で見つけた、持ち運び用のカトラリーセットに、おんなじロゴがついてたのでした。

20170405_10_47_59 20170405_10_49_38 お箸とナイフ、フォーク、スプーンがみんな入ってるけどすごく軽くて、コンパクトで、なかなか秀逸なこのカトラリーセット。

よく見ると、空色の袋はリサイクルPET製で、ゴミとして埋め立て地行きだったペットボトルを再利用していると書いてありました。

20170405_10_48_07_2 袋のふた部分の「Plastic Free Hawaii」というロゴの下には、よく見ると「A program of the Kokua Hawai'i Foundation」と書いてありました。

Kokua Hawai'i Foundationは環境教育の支援・推進活動をしているNPOだそうで、プログラムの1つとして、プラスチックのないハワイに向けて活動していたんですね。プラスチック製品の使い捨てを最小限にしていくことの健康面・環境面のメリットを知らせるためのツールやトレーニングを、学校や企業、地域コミュニティ向けに提供しているそうです。プログラムの一環で、ビーチクリーニングや、こうしたリユーザブル・カトラリーの販売もしていたのでした。

このカトトラリーセットを一目見たとき、軽くて小さくてキャンプに便利だなあ!と思ったけど、本体には「TO GO WARE(テイクアウト用カトラリー)」と書いてあって、ごはんをテイクアウトするときなどの普段使いが想定されているようでした。

思い返すと私もオアフ島滞在中、外食やテイクアウトをする中で、なんどもプラスチックのフォークやスプーンを使い捨てするはめになりました。博物館や公園内の食堂などでご飯を食べると、プラスチックのフォークと紙皿などで出されて、食べ終わるとまるごと全部、大きなゴミ箱へ入れるのです。プラスチックと燃えるゴミの分別もなしでした。。。

20170405_12_00_54軽い手荷物の旅にしたくて、荷物を最小限にしてきちゃったので、お箸だけは持ってたけど、今回は野宿しないし、と思って、持ち運び用のフォークやスプーンは置いてきちゃっていました。でもたまたまハワイ到着翌日に小さな売店でアウトドア用フォーク兼スプーンを見つけて(ドイツのメーカーのだったけど)即買い……。

なのでその後はお箸も、スプーン兼フォークも、いつも持ち歩いていたわけだけれど、お店で当たり前のようにプラスチックのカトラリーを出されると、ついもらってしまって、自分のを使いそびれてしまってました。。。(後悔)。よその地で、まわりに溶け込みたい、と思うと、つい、みんなと同じようにしてしまうへなちょこな自分です。

ほんとに、このへなちょこは、どうにかしたい。。。

Kokua Hawai'i Foundationの活動を、これからも応援したいし、自分のへなちょこ改善活動にも、もっと取り組みたいです。

愛と尊敬をもってお互いに接するハワイのAlohaのスピリットは、地元の人と接する中でほんとうに身に浸みたけれど、AlohaのスピリットにこのKokua(助け合い)のスピリットが連なっていることは、そうだよな、うんと自然なことなんだな、と思いました。

Img_0454Img_0459 Img_0456 余談:ハワイアン航空はインフライトプログラムも充実していたけれど、シートベルトや非常口の案内動画もイケてました。すべてハワイの風光明媚な場所で、ハイカーやフラダンサーやカヌーの漕ぎ手やサーファーの皆さんとロケ撮影されていて! 非常口の場所は砂浜に描いた飛行機の上で示されたり。非常口の方向をフラダンサーの方が踊りながら示してくれたり。とてもよくできていて感心しました。

おちゃめでかわいらしくて美しい動画でした。これもAlohaのスピリットだなあ。。。と思った。

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2017.04.04

(きゃ)さんの自然な暮らしと、カヌーと、ワイメアの谷

遠出の旅から帰ってそろそろ1週間です、ようやく身も心もおうちに戻ってきた感じです、ほんとにゆっくりだ。。。そして旅を振り返りつつ仕事してます。

Img_0414 ハイビスカスでシャンプーがつくれること、オアフ島のノースショア(ハレイワ)でお世話になったおうちの(きゃ)さんに教わりました。玄関先に咲いてた赤いハイビスカスの新芽や葉っぱをひとにぎり摘んできて、水を張ったボウルに入れて、もみもみ。。。 そうやっていると、とろんとした成分が出てきて。。。あわい緑がかった、とろんとした液体になったら完成です。Img_0231

頭を洗う時は、これをつけて髪をもみもみしたあと、洗い流す前に少し置くのがポイントだそうです。やってみたら、髪がふんわりソフトになったのを実感しました。

Img_0232 ハイビスカスのシャンプー、いいです。しかも、もみもみしたあとの新芽や葉っぱや花は、まるでゆでたモロヘイヤそっくりで、お醤油なんかで和えてみたらおいしく食べられました♡ 無駄がない。。

Img_0243 Img_0421 Img_0339 (きゃ)さんちは、裏庭にバナナやココナツ、カカオ、マンゴー、パパイヤ、パンの実(ブレッドフルーツ)なんかがなっていて、少し離れたところにある畑では大根なども育てているそうで、朝ごはんにはパンの実の炒めものや、カカオとバナナのデザート、マンゴーとココナツとスピルリナとライスミルクのスムージーなどをつくってくださいました。Img_0410顔をあらっていたら、裏庭で「ゴンッ」と音がして、なにかなあと思ったら、(きゃ)さんがココナツを取ってた音だったり。。。Img_0408刃物で割って、中の白いところをかき出して、スムージーに入れてくださいました。

生ゴミはみんな、庭を駆け回っている鶏にあげるというシステム。これも無駄がない。。庭にはコンポストトイレと、アウトドアお風呂も手づくりされていました。 Img_0425Img_0423_2

  家の裏手には川と池があって、泊まった最初の晩は、春休みの近所の子どもたちが夜遅くまで川でカニとりをして盛り上がっていました。くたびれてなかったら見に行きたかった。。

不思議と日本通で、家に帰って来ると「ただいまー」と言う(きゃ)さん。「ただいま」だけを習って「おかえり」は習わなかったらしく、私たちが帰ってきて「ただいまー」と言ったときも「ただいまー」と返してくれてました^^; なんで日本語そんなに知ってるの、と聞いたら、以前ピースボート乗船者向けのプログラムを担当したことがある、とおっしゃってた。

友達が釣ったというAkuという大きな魚(サバみたいな魚)を持って帰って来ると、まるごと特大の鍋にごんっと入れて、水と大根と薬草とを入れてことこと煮てスープもつくってくれました。海の人の料理、という感じ。。。朝ごはんに海苔と一緒にいただきました。

(きゃ)さんは食とヨガのスペシャリストでもあって、朝起きて顔をあらってリビングに行くと、すでにリビングにヨガマットが敷いてあって、(きゃ)さんと、ヨガの生徒さんらしき女性が1人いらしていて。あと2枚余計にマットが敷いてあったので、「他にもっと生徒さんがいらっしゃるんですか?」と聞いたら「これはきみたちのぶん、さあ」と。いきなりヨガセッションの始まりでした。宿泊代に朝食とヨガセッション代が込みだ、というのはなんとなく知っていたけれど、前夜に何もそういう話もなかったので、突然でびっくりした。(きゃ)さんは何時からこうしますよ、とか言う人ではなくて、その場の流れに合わせて、とてもイージーにものごとをやっていく感じの人。口数が少なくて(少なすぎてこの突然のヨガセッションみたくいろいろびっくりしたけど)、静かな存在感で、でも笑うときはカラッと笑うのでした。ヨガの指導もゆるやかで的確で、とても気持ちよくできて、休まりました。

空色のビーチクルーザーも貸してくれて、浜までの気持ち良い道を走りました。ピストバイクは初めてで、緊張した。。けど慣れるとかえって快適でした。ペダルでブレーキできるって楽です。片手にサーフボードもってたらなおそうなんだね、きっと。

Img_0324ノースショアはサーフィンで有名な街だけど、この2月にはノースショアコミュニティのみなさんと、ホクレア号のキャプテンとナビゲーターをつとめたカマキさんとでつくった新しいアウトリガーカヌーも処女航海をしたばかりだそう。

アウトリガーカヌーはハワイの伝統そのもの。ホクレア号は私と相方にとっても大きな存在で。。。歩いていたら、たまたま浜でこの新しい双胴カヌーに出くわして、うれしかったです。

Img_0321Wanana Paoaというこのカヌーの名は、ノースショアのワイメア湾沖の小島から命名されていて、これからのノースショアはサーフィンと観光だけでない、もっと大きなものを体現する場になっていくんだ、という地元のみなさんの心意気を、後でネット上の記事で知りました。

そんなこんなで、たまたまAirBNB(民泊)で見つけて泊まらせてもらうことにしたおうちだったけど、いろいろうれしいおうちでした。歩いてすぐのところに大きな自然食品店もあるし、居心地100点のベジカフェもあるし、バスでちょっと行ったところにはワイメア渓谷という美しい渓谷があって、滝つぼで泳ぐことができました。

Img_0300 この滝と谷全体は、いったんテーマパーク化されてしまっていたのを、ハワイアンの人たちががんばって土地をトラストとして買い戻して自然公園に戻したそうです。それがつい2006年のこと。

滝つぼで泳いで、この谷の風に吹かれたときが、実は今回のオアフ島滞在の中で、一番幸せを感じた時間でした。なぜか泣けた。。。

帰国してからググったら、この谷はもともとワイアンのカフナ(古代ハワイの神官)が代々統治してきた場所だった、とありました。800年近く、カフナがこの谷を守り続けてきたそうです。別名「カフナの谷」として知られるほどの聖地に、かつては軍用施設がつくられたこともあったとわかってびっくりしました。テーマパーク時代もかなりな使い方をされていたみたい。

この谷は、今はハワイの自然や文化について学べる場になっていて、広大な敷地の中をさまざまな植物に会いながら歩いていけるようになっています。昔の暮らしを偲べる復元住居などもあったり。ヘイアウ(神殿)も、かつての場所に復元されていて。

遊歩道には途中「Cultural Practitioner」と書かれたブースがいくつかあって、そこで係の人にハワイの伝統文化についてデモンストレーションしながら教わることができるようになっていました。

滝へ向かう手前のところで、以前博物館で目にして気になっていた、昔のハワイのキャンドルがブースにあるのが見えて、お話を聞いてみました。

Img_0291 石うすのような入れ物の中にさしてある、このおだんごみたいなのは、ククイの木の実。これは展示用なので殻をはずしてないけれど(はずすと小鳥が来て食べちゃうから)、本来は殻をはずして使います。上端の実に火を灯すと、1粒3~6分くらいのあいだ灯って、下の実に燃え移り、そうやって串1本でしばらく燃えるようになっているそう。

実際に灯してみたいなあ。。!どのくらい明るいんだろか。ククイの木は英語ではキャンドルナッツ・ツリー。そのまんまな名前だし、やっぱりキャンドル並みに明るいのかな。と思って調べたら、実際に実を灯してみた動画がありました。ほんとにキャンドル並みでした。この実はじゅずつなぎにして正装のときのネックレスや腕輪にも使われていました。気持ちのいい手触りの実。

Img_0292 ククイキャンドルのとなりにもいろいろ並べてあったので、尋ねてみると、ただの丸い黒い石に見えたものは、フラを踊るときのカスタネットでした。2つの石を片手に持って打合せると、なるほどいい音がしました。帰りの飛行機で見た『ハウマーナ』というフラがテーマの映画で、たまたまこの石のカスタネットを鳴らしながら踊る人たちを見ました。ゆったりした踊りだった。。。

この石は、そこらへんのてきとうな石でいいわけではなくて、フラの踊り手一人ひとりが、自分で探しに出かけて、自分の手に合う石に出会わないとなんだそうです。

Img_0297 小さいたいこは、腿にゆわいて固定して、草を編んだバチで叩くもの。たいこの革は昔はサメの革を使っていたそうです。

ほら貝も、ほんとうに貝のはしっこを切り落としただけのものだけど、立派な音が出ました。

シンプルで美しい道具ばかりでした。

Img_0302 テーマパーク時代はエンターテイメントのためのダイビンングショーが行われていたこの滝。今は地元のみなさんに大切にされていて、静かで穏やかな場所でした。

滝つぼで泳いで上がったときに、地元の小学生らしきグループが、先生らしき人たちに連れられてやってきたかと思うと、ひとしきり滝に向かって熱心にチャントを唱えて、それからみんなで水に入っていくのに出くわしました。

しばらく後で、またこの子たちのグループに遭遇したのだけど、そのときは大きな緑の木々に囲まれたところで全員でフラを踊っていました。男の子も女の子も大きい子も小さい子もみんな。踊るってこいうことなんだな、とちょっと思った。

Img_0315 ほんとうに美しくて、ゆたかさを感じる谷でした。

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2017.04.02

オアフ島の海に

Img_0302 ひさしぶりに遠くへの旅に出ていました。ハワイのオアフ島へ、大家族でのお祝いの旅行で、最後に数日間パートナーと2人で延泊しました。

オアフ島は若い頃に1度行ったきりで、そのときのワイキキの印象があまりよくなくて、格別行きたい場所ではないと思ってきたのだけれど、今回、その先入観が溶けたのでした。ワイキキは確かに自分にとって大変な場所だけれど、オアフ島のほかの場所、海や谷や滝や田舎街は、とても広大で、やすらかで、ゆたかでした。

それとやっぱり、地元の方々が、朗らかでやさしい。。。これも身に浸みました。ハワイの地にはやっぱり、アロハのスピリットが根付いているみたい、と思いました。

旅の前までかなり仕事が忙しくて消耗しきっていたので、旅の間もともするとすぐ頭が緊張しがちになったりしたけれど、でもやっぱり、海に、谷に、滝に、風に、花に木に人に小鳥に魚に海亀にイルカに、よくしてもらって、助けてもらったように感じています。

Img_0518 海は、なかでも、とくべつでした。以前、ビッグアイランド(ハワイ島)のホナウナウにあるツーステップスというポイントで泳いだときもそうだったけれど、今回も、海に入ると、すごくやすらぎの感覚がやってきました。

足が全然つかない深さの海なのに、まったく不安感が出てこないばかりか、むしろ安心感が増すという不思議。。。

今回入ることができたのは、ハナウマ湾と、ワイアナエ港からカタマラン船で出た沖、そしてノースショアのワイアルア湾でした。

* * *

Img_0515 ハナウマ湾は人気のシュノーケルスポットだけれど、ビジターに対しての入水前のオリエンテーションも徹底していて、この湾の自然を懸命に守ろうとしている方々の想いを感じられたのがよかった。。

Img_0511 おちゃめな顔をしたフムフムヌクヌクアプアア(ハワイの州魚)、ポーヌフヌフ(パロットフィッシュ)という大きな虹色のお魚、モアという水玉の小さいフグ、プアルという淡い青のボディがきれいなお魚。。浅いところでもほんとにいろんなお魚が泳いでいまいした。縦じまのひらひらしたマニニというお魚の群れとはしばらく一緒に泳ぐはめにもなったり。。。魚たちは人が居ることに慣れっこになっているのか、ほんとにマイペースで。。。居合わせてもらえて楽しかったです。

相方も、最初水に慣れるまでは不安そうだったのが、最後には「楽しかった!」を連発していました。シュノーケル好きの兄もよろこんで、水中で使えるカメラでたくさん写真を撮ってくれました。

* * *

Img_0516 ワイアナエ港の沖は、イルカと会うツアーに参加して、行くことができました。野生のイルカ(スピナードルフィン)に会ってもいいらしいことに、まずは、どきどきわくわくしましたが、オアフ島の西側の地域にあたるワイアナエ地区は、ハワイアンミュージシャンのIZさんゆかりの地域でもあって、行ってみたい気持ちがあったので、それもツアー参加の動機になっていました。

ワイキキを出て、西へ西へと車が走っていくにつれて、空が広くなって景色が大きくなっていきました。背の高い建物が1つもなくなって、緑色の山肌の丘が見えてきました。もともとのハワイはこんな感じだったのかな?という風景。

ワイキキは、最初王族の保養地で、タロ芋が育てられたり、池で養殖がされたりしていた場所だったのが、中国からの移民の時代には水田になって、そのあと、西洋の人たちが埋め立ててリゾート地にした場所だと聞きました。ワイキキのビーチの白砂はカリフォルニア州から運んだ、とのこと。

ハワイが西洋人の手に渡るまでの経緯をたどればたどるほど、胸つまされる自分がいるけれど、そういう過去の歴史だけじゃなくて、現在も同じ構造は続いていて、富裕層の移住者がハワイの土地を高騰させているらしく、地元ハワイアンの人たちの暮らしが圧迫されて家のない人たちが出てきているそうで、そうした人たちが少し前まではワイアナエのビーチなどで家族でテント暮らしをしていたと聞きます。が、テントは見当たりませんでした。今は当局の政策で、人目につくところで野宿できなくなっているらしく、内陸部のほうに移動しているか、シェルターに入っておられるとのこと。でもシェルター暮らしは不自由が多い、と聞きました。(このに、詳しく書いてありました)。

そして自分もやっぱり外からの訪問者としてここにいるわけで……。野生のイルカに会うツアーについても、ワイアナエ沖の浅瀬を休息の地として好んでいるイルカたちにとって、そこへ連日人間が乗り込んでくるのは、どうなんだろう、というのがありました。イルカには会ってみたいと思ったけれど、野生動物の生息地に入り込んでいいのかどうか……。気になって少し調べたら、Wild Dolphin FoundationというハワイのNPOが、イルカツアーのあり方についてかなり懸念を示している文書があって、イルカツアーの認証システム(イルカにやさしいツアーであることを示す認証)が機能していないことを憂いでいたので、イルカツアー参加は見送ろう、と一度は思いました。

でも、いくつかのツアーが載った雑誌をぱらぱらと見ていて、シーハワイというツアーオペレーターが気になりました。認証マークがついていないツアーをしていて、NOAA(アメリカ海洋大気庁)が制定した基準を守って野生のイルカに接している、と書いてあったのと、ツアー内容がイルカウォッチングと、イルカのポイントとは離れた場所でのシュノーケルのみで、カヤックとか他の派手なアクティビティを盛り込んでなかったので、もしかしたらここならいいのかも?と思いました。

シーハワイの会社のサイトを見たら、オアフ島のイルカツアーのオペレーターのうち唯一ハワイ出身者が経営する会社だとありました。あと、ツアーの収益の一部がシーハワイ財団に寄付されて、海洋科学の分野を専攻していきたい地元の高校生向けの奨学金に充てられるとあったので、それも大きかった。。。

いつも相談している、ハワイの動物たちのカードに、このツアーへの参加についてたずねると、そのまま「イルカ」のカードが出ました。アロハという意味のカード。

そんなわけで、実際に参加してみたのでした。船の上からでもイルカに会えるみたいだよ、ということで、泳げないし足のつかない海はNGな姪っ子たちも、みんな一緒に参加しました。泳ぎの得意な甥っ子と姪っ子は水に飛び込んで、甥っ子のほうは特に水を得た魚のようにのびのびと泳いで、生き生きとしていたっけ。。。

Img_0519 陽気なガイドさんたちに率いられて、開放感いっぱいのカタマラン船に乗り込み、ワイアナエ港を出てしばらく行くと、まずはシュノーケル・タイムでした。船の上から海亀が泳いでるのが見えました。ときどき頭を水上にもたげる様子がかわいらしかった。。

船のはしごを降りて海へと入ると、ふわりと開放感に包まれました。

こんなに沖で海に入るのが初めての相方は、最初不安だったみたいだったので、慣れるまで、しばらくそばについて一緒に泳ぎました。

Img_0506まわりには、あざやかなレモン色のお魚(レモンバタフライとも呼ばれる、ハワイ固有のバタフライフィッシュらしかった)がいっぱ泳いでいました。フムフムヌクヌクアプアアもいた。

たっぷり30分もそうやって泳がせてもらえました。そのあとはイルカのポイントへ移動です。

イルカポイントでのふるまい方の注意事項を聞いて、今度ははしごではないところからぽちゃんと飛び込みました(早くみんなで入水するためみたいでした)。

Img_0509 1度目のときは、ちょっと忙しい感じでしたが、2度目に入ったときは、下の方をゆるやかに泳いでいくイルカのみなさんをぼおっと見ていることができました。イルカのみなさんとこうしてそこに居合わせていると、自分の両足も交互に動かすのでなくて、ゆるゆる版ドルフィンキックみたいなふうにしたくなりました。両腕を背中のうしろで組みたくなりました。そしてなるべく静かにしていたくなりました。

Img_0508 野生動物なのに、ぜんぜんそういう感じがしないし、怖くない、というのが不思議でした。ハナウマ湾のお魚同様、人に慣れている、というのがあるのかな。それともこれは、昔からのハワイの人とハワイの生き物とのつながりのおかげなんだろうか? もしかして船長さんやガイドさんたち(ハワイ出身の方も多そうでした)の中に、海洋動物をアウマクア(先祖)に持つ人がいる、とか。。。?

ほんの束の間だったけれど、同じ水の中に居合わせてさせてもらって、つくづく美しい存在だなあと思いました。

でも、日本に帰ってから振り返って、このツアーがNOAAの基準に則していたのかな、大丈夫だったかなと不安になりました。

で、気になってもう少し調べたら、「NOAAの基準」がそのままイルカツアーの認証マークの基準だったことを知りました。てっきり2つは別物だと思いこんでしまっていた。。。でもさらに調べていたら、こんな記事にも出くわしました。なるほど、こういう見方もあるんだな、と思いました。このツアーのやり方がイルカを十分尊重しているからこそ、過去30年、ここでこうしてやれてきているわけで、これはエコツーリズムのひとつの成功例なんじゃないか、とこの水中カメラマンの方はおっしゃっていました。

シーハワイの船長さんもガイドのみなさんも、どの方もとてもやさしくて朗らかで、海を、イルカを、傷つけるようなことをしたいはずがないのは明らかでした。シーハワイではツアー参加者全員に、NOAAによるスピナードルフィンの生態についての文書を翻訳したものも配っていました。そこには、日中はイルカにとって休息時間であることもちゃんと書いてありました。

NOAAは野生のイルカとの接触を規制しつつ、「イルカと泳ぎたければ捕獲されたイルカと泳ぐように」と言っているらしいけれど、イルカの側からすると、これは誰かしらが犠牲にならないといけないことを意味しているわけで。。。バードウォッチングを全面禁止して、かわりに1羽を捕獲してそれを見るように、となったら、やっぱりそれは違う気がします。私が鳥だったら、仲間の1羽が捕えられてしまうよりは、自分たちの本来のあり方を尊重してくれる人がガイドをつとめるなかで、生活圏に少しの間入ってこられるほうがいいような気がする。自分たちの身に行動の自由がある中で、その場を束の間共有する、というほうが。。。

Img_0507 イルカのコミュニティがどう感じているか、なにが、どこまでがハラスメントになるのかは、ほんとうのところは各自のイルカに聞くしかないけれど。。。海で少しだけ一緒に居させてもらえたこと、とてもうれしかったし、ありがとうの気持ちです。イルカのみなさんも、贈り物をくれるみたいにそこにいてくれたのなら、そこまで耐えがたきを耐えていたわけではないなら、いいなあと思う。。

そしてイルカ以外の、ハワイのみなさんにも。。おじゃまさせていただいて、ハワイのいろんな部分を見せていただいて、感じさせていただいたことに、ありがとうの気持ちです。

* * *

Img_0361 最後に行った海、ノースショアのワイアルア湾は、冬の時期は波が大きいことで知られる屈指のサーフスポットです。もちろん、この時期にサーフィンできるのは腕のあるベテランサーファーだけ。

すごい大波だと聞いていたので、ノースショア滞在中は海に入るなんて無理だろう!と思い込んでいたら、お世話になったおうちの(きゃ)さんが「いや、泳げるところあるよ、このへん」と地図で教えてくれました。

すぐ向こうは大波エリアなのに、同じ湾の逆側は静かで、小さい子どもたちが大勢、楽しそうに泳いでいました。

週末だったせいか、地元の人らしき人たちがテントを建てて浜辺のそこここでのんびりしていました。いい感じのゆるさ。

Img_0341 大波に乗るサーファーのことは、いつまででも見飽きませんでした。ぼーっとながめてしまう。。

Img_0215 オアフ島は小さい島なのに、ほんとうにいろんな表情があって、懐が深いなあと思いました。海と、緑の山々と、谷と、人と、生き物のみなさんに、ありがとう。

次は谷の話でも。。。








* * *

前回ビッグアイランドのホナウナウで泳いだときの記録がふと出てきたので、ここに貼っておくことにします(自分用防備録)。

旅から帰って、半日ともだちとえんえんおしゃべりして過ごして、やっと落ち着いてきた。。。旅のあいだは感じることが多すぎて、ことばにも絵にもならない日々でした。

最後に滞在した有機農園のコナコーヒーの豆を挽いて、コーヒーを飲んでるなう。他の植物に混ざって斜面に植わって、たわわに緑の実をつけていたコーヒーの木々を思い出しつつ。。。いろんなことがあったけど、あのエリア(ビッグアイランドのサウスコナのホナウナウ)は、ふしぎとピースフルで、ものすごく休まった。農園のおかみさんにそう言ったら、自分も最初ここに来たときにそう感じたのよ、同じように感じているんだね、と言われた。

ホナウナウの湾で、日焼け止め不要の遅い午後に少し泳いだとき、水から顔をあげるたびに目に入って来る陽の光がキラキラきれいでした。ツーステップとよばれる場所で、文字通り岩が2段、階段状になっていて、その先はぐーんと深くなり、海底にはごろごろとサンゴ。地元の子どもたちらしき子たちがおおはしゃぎして岩から飛び込みをしたりバシャバシャやったりしてたけど、はしゃいでいてもちっともうるさくなくて不思議だった。かなり深いところを泳ぐときは、いつも最初は少しびびるのに、この湾では最初からおおいなる安心感の中で泳いでいて、ちっとも怖くなかったのも不思議でした。

ビッグアイランドにはいろんなことがあるけど、それらをおおいなるなにかが、ものすごく寛容に包み込んでいるような気が、やっぱりした。


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2016.12.17

すごい喫茶店

今朝、夢に、亡くなったねこの(にゃ)ちゃんが出てきました。出てきたというか、ほぼ、もうそこにいたというか。わたしの左手をなめて、すりすりしてきてくれました。懐かしい感触でした。

そういえば昨日の夢にも、虹の橋の向こう側の人が出てきた。フリー編集者時代に上司だった、写真編集者の(に)さん。相方と、もうひとりと、(に)さんと、4人でどこかで食事をしていたのだけど、甘いものを注文してしまって、(に)さんにはなにか別のものを頼んだほうがいいな、と思っていたのだけど、当の(に)さんは黙って静かにわたしたちの向かいの席に座っていて、食べることについては特に何も意に介していないようでした。

あちら側の人とこうして2日連続で会えると、なんとなく不思議な気分になりますな。

不思議な気分といえば……。

こないだ、旅先でたまたま入った喫茶店3つ。どれもすごくてびっくりしつづけたのでした。1軒目は、表に「日本一の喫茶店」と書いてあったので、なんでかなーと思って入ったらば。マスターのおじさんが、発明家というか研究家というか、すごい人でした。自分で考えてつくった、コーヒー豆を中に入れておけるスピーカーで、豆にモーツァルトを聞かせていて、それを挽いて淹れてくださるのだけど、これが体にするりと、抵抗感ゼロで入って行く、すごくおいしいお味で。20161211_111052 どんなに特別なお豆を使ってるんだろうと思ってきいたら、「豆?普通の豆だよ、Key Coffeeのトラジャ」とのこと! 

  あと、この喫茶店の場所は、東からのぼった太陽が鹿島神社の上を通過し、富士山の上を通過したあと、高千穂の上を通って西へ沈む前に通過するポイントだと教えてくださいました。おじさんは日本文化の始まりについて研究もしていて、論文も発表してらした……。今も研究は続いていて、そのために各地の郷土史を集めていらっしゃいました。地道な研究の仕方だなあと思った。

15326620_10211329626855355_29126577三河湾を見渡す景色もすばらしくて、いくつもの島と4つの半島が見渡せた。パノラマが広がる窓に向かってテーブルにつくと、ちょうど目の高さに水平線があって、それがまた心地よさの秘密だとのこと。あと、モーツァルトを「子宮で聴ける」椅子もあって、座ってみたら、これは確かに今までにない音楽体験でした。。。

20161211_110532 店内の内装も、全部おじさんが一から自分で手掛けたとのこと。でも手づくり感が前面に出るわけでもなく、空間全体はほどよくなじんでいて、センスがよいのでした。特にトイレがすてきでした。トイレの扉の取っ手は朱塗りのお椀。これは天皇陛下のいとこの結婚式の引き出物だったそう。そうとういい漆器なんではなかろうか。

テーブルも椅子も廃材からすべて手作り。この椅子がまた、シンプルなつくりなんだけど、座り心地がよかった。。そしてカウンター向こうの壁にたくさんしゃこ貝の貝殻がつけてあって、昼間だったからただの飾りかと思っていたら「あれはね、ライトなの」と言って、スイッチを入れてみせてくれました。20161211_110706

おじさんと話していると、どうも父と話している感じと似ているな、と思ったら、父と同い年でいらっしゃいました。しかしほんとうに元気はつらつで。お歳をうかがってびっくりしました。

2軒目は、喫茶店難民になりそうになって、寒い風の中歩いていて、ようやくあった喫茶店。全面窓ガラスで、窓辺の席でマスターが本を読んでいて、ほかにお客さんはいなかったので、「やってますか?はいれますか?」と聞くつもりで、「×?」「○?」と腕でジェスチャーしたら、すごく人懐こい感じで「おいでおいで」の手まねきをしてくださったので、入りました。

20161211_175431 店の外には「JAZZ」と書いてあり、黒が基調の内装で、渋そうな喫茶店だったのだけど、入ってみたらば。JAZZが流れていないばかりか、音楽などない無音空間。そしてマスターはコーヒーを出し終るとまた窓辺の席での読書に戻り……。カウンター席の上に大きなボードがさげてあるので、よく見たら、般若心経でした。

お会計の時にレジ脇に「役の行者」と書いた文字といくつかのグッズがショーウインドーに入ってるのに気づき、たずねてみると、そのショーウィンドーの照明スイッチをパチッと入れて、「実は自分は山伏で、3代目なんです、祖父の代から」と水を得た魚のように話し出されました。般若心経のボードも、修行の一環で自分で手彫りしたとのことで、ショーウィンドーの中はほら貝をはじめとしたさまざまな山伏グッズが陳列してありました。窓辺の席で読んでいた本も、修行に関する本だったのでした。

「人間わるいことはしちゃいけないね」と人懐こい笑顔でおっしゃるので「悪いことしちゃったんですか」と聞いたら、「そう、悪いことしちゃったの、それで今はこの道に入ったんだよね」と。お店を出る時には「いいご縁でした!」と言って見送られ、不思議な気持ちに。。

20161211_183336 3軒目は、ナマケモノのイラストがロゴになっている小さいカフェで、たたずまいとナマケモノの絵にピピッと来て入ったら、カウンター席だけの小ささなのに居心地の良さは200%な良質空間でした。豆はすべて自家焙煎。どんな感じが好みか言っていただければ、こちらでお選びしますよ、と若い女性のマスター。カウンターの前にはおもしろそうな本がずらーりとならんでいて、本の合間合間に30㎝四方くらいの穴が開いていて、お水や珈琲はそこから供されるのでした。

背後にも棚があって、選りすぐりの雑貨と、あと「100円文庫」というのがあって、古本を販売していました。100円文庫のラインナップもおもしろくて、地方のミニコミ誌みたいなのや(しかもこの近くの土地のものでないものばかり)、マニアックな本なども。なんと、以前から気になっていたミニコミ誌「野宿野郎」も1号から4号まであった!ので、もちろんいただいてきました。

この喫茶スロースというお店は、2階がギター教室だったのは気づいていたけれど、あとでホームページからブログをみたら、喫茶店の始まりのお話がおもしろかった。だんなさんがギター教室の先生で、教室の生徒さんがくつろげる喫茶スペースをつくりたいと言い出したらしかった。でも、奥さまである現在の女性マスターは、最初、猛反対していたのだとか。

つまり、彼女は「そもそも喫茶店を経営するなんて考えてもみなかったし、私にはまったく向いていないと思ったんです」だそうです。やる気はなかったけど、やってみたら、だんだんとおもしろくなっていた、ということのようでした。今は「・・・みんなカフェ、やってみるといいと思いますよ。こんなに嫌でしょうがなかった私でも、いまではとても楽しいですから」とのこと。この喫茶店も、内装からすべておふたりで手造りされていったみたいです(手探りですすめていった記録がブログに残されていました)。ほんとに、すごいとしか言いようがありません。

喫茶店てほんとうに、いいものですね。そして特に東海地方の喫茶店文化は、ディープです……。

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